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安曇郡小室村二村家文書

資料No(記号) 安筑〔5〕/5-60
説明(解題) 本目録に収録した標記文書は、松本藩領安曇郡小室村二村家に伝来した文書群で、2018(平成30)年に県外古書店より購入したものである。
 小室(おむろ)村は黒沢川扇端部に位置する現在の松本市梓川にあった近世村である。松本藩では上野組の枝村に組み込まれている。文禄年間の村高は88石である。
 戦国期よりこの地域は中塔城を中心に小笠原氏の家臣二木氏が治めた地域であった。中塔集落は小室村の北部にあたる。従来から鷹巣山として知られ、小笠原秀政の時代には「鷹待」(巣鷹守)を命じられた甚助・助十郎・藤蔵がいたことが知られる(『信濃史料』巻22、8頁)。これらは『信濃史料』に掲載されている「二村猪佐夫氏所蔵文書」の一部と見られる。二村氏は1614(慶長19)年小笠原秀政より鷹待による年貢免(免税)の朱印状を得た家であったが本史料には含まれておらず、これは残念ながら散逸してしまったようである。しかしそれ以外の残存文書のなかには、江戸後期の嘆願書が何通か含まれ、先祖の中堂(中塔)藤蔵が秀政から朱印をもらったことなどの鷹打役の由緒に関わる記録が見えてくる。ところが、宝暦期(1751~64)から寛政期(1789~1801)にかけて、子孫の与惣右衛門が、同じく同村で鷹待役に任じられていた与惣右衛門と口論となり、これが発端となり与惣右衛門家の免許が取り消されてしまったという事件が起きている。この史料群のなかで特徴的なものは、このときの役の回復を嘆願する書面の数々であろう。
 この秀政の朱印状は1741(寛保元)年に幕府御書物御用達の青木昆陽(文蔵)が信州へ古文書調査をおこなった際に、江戸へ持参したと由緒に記されている。また『信濃史料』にはそれと思われる朱印状が翻刻されている。
 このほか二村家の譲与関係の文書が多数含まれている。小室村だけでなく近隣の小倉村(現安曇野市三郷)や長尾村(同)などの住民との貸借・売買がおこなわれていることが知られる。

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