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埴科郡鼠宿村西澤家文書

資料No(記号) 更埴〔7〕/7-51
説明(解題) 本目録に収録した埴科郡鼠宿村文書は、2017(平成29)年度に上條信彦氏より寄託を受けた収集史料の一群で、点数は104点である。
 鼠宿村(坂城町南条)は江戸時代は南条村の一集落としてみえる。元和8(1622)年に真田信之が松代入城したことを契機に南条村を鼠宿村と改称したのを始まりとする。以降松代藩領で、正保年間には888石余、天保期には926石余であった。元和9年には金井村および鼠宿村の一部を分村して新地村が成立するが、近世を通じて新地村は鼠宿村の一部として扱われているようで、本史料群のなかにも、天保9年に鼠宿・新地両村に宛てて、松代藩巡見使案内についての指示が出された書留が残っている(7-51-98)。また隣宿の坂城宿との間でも、鼠・新地両宿への訴えとして相論となっていることがわかる(7-51-81)。
 鼠宿は、北国街道の松代藩私宿の扱いで間宿である。鼠宿村と新地村の共同経営であったが、上田藩領下塩尻村との境界に当たることから重視され、口留番所が設置されていることは『善光寺道名所図会』にも見える。
 本史料群の特徴は、寛文10(1670)年から天保4(1833)年までの年貢割付帳が断続的に残っていることである。これらの史料群は肝煎八右衛門家に残されたものと思われる。近代文書も残されており、明治初年の諸事書留控、掌中録などが残されている。筆者は西澤成之である。特に西澤の筆になる「見聞記」(7-51-97)は、鼠宿村関係の訴状の写や村の沿革(村高等)、村内寺社(耕雲寺・伊勢宮)由緒を簡略に写したものであり興味深い。
 なお、鼠宿村関係の用水相論を扱った論文に山崎圭「幕末の境目地域と用水─幕府領中之条代官所・松代藩領・上田藩領の境目─」(『中央大学社会科学研究所年報』17、2017年)があり、参照されたい。

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