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筑摩郡洞村鳥狩覚帳

資料No(記号) 安筑〔5〕/5-68
説明(解題)本目録は、2019(令和元)年度に県外古書店より購入した標記文書8点を掲載する。すべて横帳の覚書である。
 内容は1731(享保16)~1755(宝暦5)年における戸田治世下の松本藩鳥狩に関わる史料である。藩内の各村に課せられた役負担のうち洞村に関わる写である。大村・浅間・原・洞・板倉各村における12月の雉子の追鳥狩の様子がうかがえる。人足等の書き上げ帳のほか、全8冊61丁に当日の様子が詳細に記録されている。
 戸田光慈が伊勢鳥羽から松本藩主となったのが享保10年である。8冊の帳簿のうち1冊は光慈の追鳥狩、そのほかは同17年に光慈が死去後に家督を継いだ光雄の時代の追鳥狩の記録である。
 これらの史料から松本藩の鳥狩の定日は12月5日に定められていたことが知られる。まず鳥追の触れが城下へ出されると、各村では勢子の人足が申し付けられ、またそれに付随して留守番が定められた。勢子(せこ。狩子・列卒と表記もされている)は、雉子を追い出したり、射手(待子・立場とも表記)のいる方向に追い込む役である。勢子のほか各村には長役・小頭などが割り当てられ、町奉行がそれぞれの町の勢子を、郡奉行が各村の勢子を指揮した。また「立場」は湯原(里山辺)・大村(本郷村)・洞村(本郷村)が第一から三番までを勤め、藩主の狩り場への出馬を待って出馬行列とともに押太鼓が二拍子で鳴らされ、佳境にはいると三拍子で鳴らされることが定められた。追鳥狩は、立場の者は5間から10間に一人づつ配置され呼び声とともに雉子を追い藩主の眼前で捕獲するセレモニーであった。
 松本藩政に関わる史料は当館にはほとんどなく、また鳥追民俗の史料としても興味深いものといえよう。

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