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小県郡三分村文書

資料No(記号) 小県〔1〕/1-5
説明(解題) 本目録に収録した小県郡東上田村田中家文書、小県郡三分村免定は、長野県立歴史館が1999年(平成11)および2001年(平成13)に購入したものである。
 東上田村、三分(みわけ)村は、共に烏帽子岳の南麓に展開する村である。天保郷帳による村高は、東上田村が414石、三分村が77石であった。領知は、三分村が17世紀のはじめは上田藩領、元和8年(1622)徳川忠長領、寛永元年(1624)小諸藩領、慶安元年(1648)以降祢津知行所(旗本松平氏)領となり幕末に至った。一方、東上田村は、17世紀のはじめは上田藩領、慶長11年(1606)上田藩と小諸藩の相給、慶安元年からは上田落と祢津知行所領の相給となり幕末に至った。明治維新後は、東上田村(祢津知行所分)・三分村は、伊那県、中野県をへて長野県に、東上田村(上田藩領分)は、上田県をへて長野県に属した。2村とも明治9年(1876)和(かのう)村の一部となり、昭和31年合併により東部町の一部となった。さらに平成16年東御市の-部となる。
 本文書は、三分村免定も含めて東上田村の名主をつとめた田中家に伝来してきた文書であると考えられる。田中家は、三分村の名主も兼帯しており、そのため同村の免定が田中家の文書に含まれることとなったと考えられる。文書の年代は、元禄4年(1691)から明治5年(1872)におよぶ。内容は、免定(年貢割付状)、皆済目録をはじめとする貢租関係と村送り状からなる。特に村送り状は、天保7年から明治5年に97件残っており、宛先も東上田村・三分村以外にも新張村、塩澤新田、夫沢村、鎌村の名前がみられる。また、1点だけであるが蛇川川除普請の争論に関わる文書もみられる。

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