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岩村田宿問屋依田家文書

資料No(記号) 佐久〔2〕/2-2
説明(解題) 本目録に収録した岩村田宿問屋依田家文書は、長野県立歴史館が1994年(平成6)に寄託を受けたものである。
 岩村田は、中世大井荘の本拠となり、大井城が築かれた。また、戦国期には武田氏の佐久郡支配、上州攻めの拠点となった。
 近世の岩村田村は、はじめ幕府領、元和8年(1622)徳川忠長領、寛永元年(1624)小諸藩領、天和2年(1682)幕府領、元禄16年(1703)以降岩村田藩領となった。天保郷帳による村高は2,627石であった。
 岩村田村は、岩村田藩内藤氏の陣屋(元禄16年~)がおかれる一方、中山道の宿駅として栄えた。元禄12年(1699)には、戸数235、総人数1,419人であった。岩村田宿の問屋は、天明元年(1781)までは、一人であったが、それ以後2名となった。天保期の問屋場は、「問屋」2名(半月交替)、町方の組頭が兼帯した「年寄」が7名、「帳付」2人(半月交替)、問屋場下役筆取13名で構成されていた。問屋は宿財政の逼迫に耐えられるよう町内の有力者が任命された。
 本文書は、天明元年以降問屋をつとめた依田清左衛門家(下問屋)に伝来してきたものである。年代は、寛文9年(1669)から大正5年(1916)におよぶが、清左衛門が問屋に就任した天明以降の文書が多い。その内容は、大名の荷物、大阪加番の旗本の荷物などの宿継ぎの触れ継ぎや代金等の精算に関わる文書など問屋の職務に関わる文書が多い。助郷に関しては、近隣の村とのやりとりに関する文書もまとまっている。宿継ぎ以外の荷では、岩村田宿を経由して運ばれていった上州産の麻荷物や飯田産の元結に関わる文書もみられ、中山道の商人荷の輸送について知ることができる。また困窮する宿駅の助成として安永3年(1774)に設定された別銭に関する文書もみられる。特に天保年間、別銭の割り渡しをめぐり小前と宿役人との間でおこった騒動の記録は、20点余みられる。明治以降の文書でも運輸に関係するものが多い。
 文書以外では、絵図面が約120舗あることが特筆される。岩村田宿の絵図や町屋の間取り図など岩村田宿の構造をがわかるものから信州・上州境の街道絵図や近隣の村絵図などその内容は多方面におよんでいる。

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