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古文書目録名一覧

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伊那郡打沢村・小川村氏乗文書

資料No(記号) 伊那〔4〕/4-17
説明(解題) 本目録に収録した伊那郡打沢村・小川村民乗文書は、長野県立歴史館が2008年(平成20)に購入したものである。
 本文書は、伊那郡打沢村文書として購入したが、整理の過程で同郡小川村氏乗の文書と千葉県香取郡などの文書が混入していることが判明した。千葉県香取郡の文書は、市場に出ている間に混入したものであるが、打沢村と小川村民乗の文書は、県外へ流出以前に一緒になった可能性もあるため2つの文書群に分けることはしなかった。目録では、分類1が打沢村文書、分類2が小川村氏乗、分類3が千葉県香取郡など県外文書というように区別できるようにしている。
 打沢村は、伊那郡南部の天龍川左岸の山間地に展開する村である。天保郷帳による村高は、215石である。南山とよばれる地域には、打沢村のような小村が多く、安政5年(1858)におこった南山一揆では、これらの小村が一揆に参加した。最初幕府領、元和5年(1619)旗本井上氏領、明暦3年(1655)年再び幕府領となり、天保13年(1842)飯田藩領、同15年三度幕府領となり、弘化3年(1846)陸奥白川藩領となった。明治維新後、伊那県、筑摩県をへて長野県に属した。明治8年(1875)泰阜村の一部となり現在にいたる。
 打沢村文書(分類1)は、村役人をつとめた家に伝来してきた文書であると考えられる。文書の年代は、安永3年(1774)から昭和8年(19・33)におよぶが、近世文書が多くをしめる。文書の内容は、土地証文、金融関係文書の数が多い。明治期の文書では、千代村(飯田市)や泰阜村七生産された石灰に関する文書もみられる。
 小川村は、天龍川左岸の小川川流域に展開する村である。天保郷帳による村高は1,307石である。最初幕府領であったが、元和5年以降36石分が旗本近藤氏領となった。村内には榑木山である小川山があり、幕末まで年貢を榑木で納める(後に代金納化)榑木成村であった。小川村氏乗は、小川川上流の山間地に位置していた。
 小川村氏乗文書は、宛所から多田家に伝来してきた文書であると考えられる。文書の年代は元禄16年(1703)から明治18年(1885)におよぶ。文書の内容は、土地証文、金融関係文書の数が多い。

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