歴史館ブログ-歴史館ブログ

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古文書公開日記3−おもしろい古銭が出てきた!−

お知らせ

伊那郡三日町村鳥山家資料が寄贈され、ようやく整理が終わりました。文書だけでなく、地図や写真、絵葉書、雛道具類など多様な資料が満載されていて飽きませんでした。そのなかでコインのコレクションに面白いものがありました。鳥山家資料のなかには中国北宋からの渡来銭や、江戸時代の寛永通宝(古いタイプと新タイプ)がありましたが、何気なくみた一枚が不思議な文字が刻まれています(写真)。「南無阿弥陀仏」と時計回りに読むことができます。念仏銭とよばれているこのような銭の形をした類似品は珍しいものです。もちろんこれが物を購入する際に使用されていたわけではありません。玩具(おもちゃ)という考えもあるようですが、重みや表面のようすはまさに「銭1匁(もんめ)」そのものですので、一見すると通常の銅銭と変わらぬ精巧さです。
江戸時代の墓の埋納された銭について集成したした鈴木公雄氏によると、17世紀後半から通常の貨幣といっしょにこのような念仏銭が墓に埋納されるようになるそうです。「三途の川の渡し賃」とよく言いますが、六道銭として知られる「6枚の銭貨を死者に持たせる」習俗(もっとも銭は6枚とは限らないようです)と関係があるのでしょうか。今でも死者の棺に紙に印刷された六道銭を封入する地域もあるそうです。似たものに「南無妙法蓮華経」と刻まれた「題目銭」もあります。
鈴木先生によるとこの貨幣は17世紀後半から18世紀前半の中で鋳造されたらしいこと、1999年の段階で大都市の近世墓から全部で300枚以上見つかっているそうですから、全国でもっとたくさん広まっていたことが想像できます。亡くなった死者を無事極楽浄土へ送ってあげるために考案された江戸時代ならではのコインではないでしょうか。興味のある方は鈴木公雄『出土銭貨の研究』(東京大学出版会、1999年)をご参照下さい。歴史館の閲覧室でも読めます。

古文書公開日記3−おもしろい古銭が出てきた!−
念仏銭
古文書公開日記3−おもしろい古銭が出てきた!−
読み方
[ 2017-05-23 ]

古文書公開日記2−明治の残像−

お知らせ

このたび佐久郡大日向村浅川家文書の整理が完了し、ようやく公開にたどり着きました。この史料は昨年度古書店より購入したもので、いくつかに分散して売られていたものをまとめて購入しました。購入当初ははっきりとした点数は分からなかったのですが、整理を終えてみると目録件数で900件、全部で1012点もの数になりました。大日向村というと、昭和初期の満蒙開拓で分村移民をした村で有名です。残念ながらその関係の史料は含まれていませんでした。しかし思いがけない史料に出会いました。1884(明治17)年の秩父事件に関する被害を示す史料が5点あったのです。大日向村は十石峠を介して上州と直接つながっている村です。埼玉県秩父郡で立ち上がった自由民権運動に参加した農民や知識人たちが結成したのが秩父困民党です。このうち急進派と呼ばれる人々のリーダーが菊池貫平(北相木村出身)でした。十石峠をこえて信州に入って来ました。信州の最初の入り口がこの大日向村でした。この村の龍興寺というお寺を本陣として高利貸に賃金の半数放棄、他は据え置き、年賦返済を交渉します。きかないときは家屋破壊または放火するといった、中世の徳政一揆に近い行動を起こしました。当時は佐久や秩父で作られた繭の値段が暴落していたので農村は極めて困窮し、借金を抱える者もたくさんいたのです。この浅川家は江戸時代の名主を代々務めた家で、明治時代は大日向村戸長役場の戸長を務めていました。そういう関係もあったので秩父困民党の襲撃を受けてしまいました。役場(といっても浅川家)は荒らされ、紛失した物品も数多くあったようです。事件が沈静化したあと、浅川源助さんはなくなってしまった品物のリストを作り警察に届けています。淡々としたものですがかえって生々しい記録です。

古文書公開日記2−明治の残像−
紛失並毀壊物御届
古文書公開日記2−明治の残像−
紛失物リスト
[ 2017-05-19 ]

歴史館オリジナル「アルクマまが玉ストラップ」販売開始!−ミュージアムショップ−

お知らせ

当館受付横にミュージアムショップがあります。規模はそれほど大きくありませんが、黒曜石や歴史好きにはたまらない商品が並んでいます。また、当館から出された企画展の図録やブックレットなどの出版物の販売もしています。

このミュージアムショップで、当館オリジナル「アルクマまが玉ストラップ」の販売をはじめました。価格は600円(税込み)です。「アルクマ」はみなさんご存知のように長野県PRキャラクターで、3月には、当館オリジナルの「アルクマピンバッチ」500円(税込み)の販売も始まっています。どちらも、当館ミュージアムショップでのみ手に入れることができる商品です。当館に来館された記念にぜひお買い求めください。

また、3月に設置したアルクマの来館記念パネルも好評で、多くの方が記念撮影に利用されています。「長野県立歴史館」の文字と日付が入っており、来館記念の写真撮影にぴったりです。こちらもご利用ください。

歴史館オリジナル「アルクマまが玉ストラップ」販売開始!−ミュージアムショップ−
アルクマまが玉ストラップ
歴史館オリジナル「アルクマまが玉ストラップ」販売開始!−ミュージアムショップ−
当館ミュージアムショップ
[ 2017-05-16 ]

“力”のあるかざりと迷いのあるかざり 〜縄文土器展への招待状 その4〜

お知らせ

毎月、小出しに手を加えてきた常設展の縄文中期コーナー。5月6日(土)の“新(展示)台入れ替え”で、アクリルボード・解説パネル・展示台と続いたリニューアルが完了しました。借用の塩尻市剣ノ宮、筑北村東畑、原村阿久遺跡と当館の優品が、以前にも増して引き立った感じです。ぜひ、見に来てください。
 筑北村の東畑(ひがしばた)遺跡のコーナーでは、縄文時代中期中葉(約5,300〜5,200年前)、東北信に多い焼町式(やけまちしき)土器が主になっています。今では、電車や自動車で松本平(中信)へ行くにも近く、行政区分は松本平の村と同じ東筑摩郡です。しかし、縄文中期中葉の筑北は、東・北信との結びつきの方が強かったようです。
 さらに、塩尻市剣ノ宮(つるのみや)遺跡出土の焼町式土器も含めて比較してみると、興味深いことがわかります。曲がりくねった粘土ひもで文様(曲隆線文)を描く焼町式と一口に言っても、北信と東信で違うからです。北信は白っぽい土器が多く、東信は赤黒い感じです。また、文様に迷いがなく、きっちりと、“力”のある装飾に仕上がっているのは北信の土器です。約5,500年前から伝統的に曲隆線文を使ってきた地域だけのことはあります。対して、約5,300年前の少し前に曲隆線文を採用しはじめた東信では、少しぎこちない感じを受けます。
 こう見てくると、焼町式土器(曲隆線文)の本場は北信?といった推測が生まれます。しかし、北信ではこの時期の遺跡が少なく、決定打がない状況です。千曲市屋代遺跡群の縄文時代中期のムラが地下4〜6mに埋まっていたことを考えると、焼町式土器の本拠地は長野盆地の深くに眠っているような気もします。
 
※焼町式土器(やけまちしきどき) 塩尻市焼町遺跡で出土した縄文時代中期中葉の土器1点が研究の端緒となっており、この名で呼ばれる。研究途上のため、「焼町類型」、あるいは暫定的に「焼町土器」と呼ぶ研究者もいる。曲がりくねり・流れ・つながる粘土紐を軸線として、空白部を沈線などで埋める。同時期の勝坂式土器等で流行した区画文を基本的には使わない。分布は、千曲川流域を主に県内各地や、隣接する群馬県・新潟県などに広がる。

“力”のあるかざりと迷いのあるかざり 〜縄文土器展への招待状 その4〜
筑北村東畑遺跡出土土器 厳密な製作地は不明だが、白っぽく、円と三叉文の組合せを多く用いるなど、北信の可能性が高い土器。 
“力”のあるかざりと迷いのあるかざり 〜縄文土器展への招待状 その4〜
塩尻市剣ノ宮遺跡出土土器 赤黒く、下部の無文帯との境に分帯線を持つ。東信からの搬入品か、出張製作?模倣製作の可能性あり
[ 2017-05-12 ]

歴史館でこどもの日を開催しました。(5/5)

イベント

去る5月5日、ゴールデンウィークのイベントとして「歴史館でこどもの日」を開催しました。当日は、たくさんの親子連れのみなさんが歴史館を訪れ、体験を通し、楽しく歴史に触れることができたようです。

「石のアクセサリーづくり」に参加された方は、時間を忘れるほど熱心に石をけずり、まが玉やハート型の世界でひとつだけのオリジナルのアクセサリーを仕上げていました。また、「縄文人になって遊ぼう」のコーナーでは、本物の縄文土器に触れたり、当時の服装に身を包んだりして、縄文人になりきっているほほえましいご家族がいらっしゃいました。今回から新たに加わった「プラ板マスコットづくり」では、当館オリジナル長野県PRキャラクター「アルクマ」や土器などの絵をもとに、かわいいマスコットを多くの子どもたちが作ることができました。

こういったイベントを通して、さらに、歴史に関心をもっていただければと考えております。夏休みにも同様の企画を計画しておりますので、ご期待下さい。

歴史館でこどもの日を開催しました。(5/5)
縄文人になって遊ぼう!
歴史館でこどもの日を開催しました。(5/5)
石のアクセサリーづくり
[ 2017-05-10 ]

本日も多くの小学生が見学に来てくれました。

お知らせ

 当館には、年間約250校、13,000人ほどの小学生が見学に訪れます。長野県内の小学生の半数以上が来ていることになります。また、県内に宿泊施設をもつ東京都の小学生もたくさん見学に訪れます。
 学校見学が一番多いのが5月です。ちょうど小学校6年生の社会科の学習で、日本の歴史について学びはじめた頃で、季候もよく、見学にはもってこいのシーズンです。本日も小学校9校、高校2校、合計800人ほどの子どもたちが見学に訪れ、熱心に見学する姿が見られました。
 当館の見学で好評なのが、職員による展示解説です。クラス毎に1名の職員がつき、展示の解説を行います。経験豊富な職員が、子どもたちに問いかけながら、専門的な知識をもとに解説をしていきます。また、普段は入れないバックヤードの見学も好評です。本物の土器に触れたり、3,500年前の縄文人と対面したり、教室ではできない貴重な体験ができます。

 今年度も大変多くの予約をいただいておりますので、見学を検討されている学校の先生方は早めに申込をお願いいたします。申込につきましては、当館ホームページ「学校団体のご利用について」をご覧いただければと思います。ご不明な点がありましたら、当館総合情報課(026-274-3991)学校見学受付担当までご連絡ください。なお、予約が重なった場合は、ご希望に添えないこともありますのでご了承ください。

本日も多くの小学生が見学に来てくれました。
芝生広場で楽しい昼食
本日も多くの小学生が見学に来てくれました。
展示解説の様子
[ 2017-05-02 ]

常設展示の縄文コーナーでウ〜リィちゃん(ウリボウ)を探してみよう!

お知らせ

 先日、ボランティアの女性の方から「最近、展示のウリボウが、頻繁に場所を移動していてとてもかわいい」と褒められました。現在、「縄文阿久ムラ」に居ついたウ〜リィちゃん(良い愛称をつけてあげてください)の居場所は写真のとおりです。みなさん、歴史館にお出かけの際は、ぜひ、この子にも会ってあげてください。ただし、かわいい!からと言って、決して撫でたりしないでください。とても警戒心が強く繊細なため、手を出すとストレスで毛が抜けてしまいます。
 数年間、ウ〜リィちゃんは屋代遺跡出土のイノノシ骨の参考として展示台に登っていました。レストランの食品サンプルのように「美味しそうでしょ。縄文人が食べるとこうなります(となりの骨)」という、ちょっと悲しい役を引き受けてもらっていました。そこで昨年の展示替えでは、思い切って北村縄文人のお姉さん(模型)の脇に添わせました。縄文ムラの周辺は、標高が低くて大雪の心配が少なく、ヒトが作った草地もあるし、ヒトが育てたマメやクリ、残飯などもあって、イノシシの生息には良い場所です(ヒトに捕まらなければの話)。縄文ムラの近くをウロウロしていて、親とはぐれてしまったウリボウ(幼獣)が、ヒトになついても不思議ではありません(現代でも時々あるようです)。縄文人が、食べるためにイノシシを飼育しはじめた(賛否両論あり)と言う面だけではなく、飼い犬のように育てることもあっただろう、といったコンセプトにしてみたのです。元ネタは、千葉県下太田貝塚(晩期)の墓域で、イノシシと犬の幼獣たちの墓が、ヒトの幼児の墓近くに作られていた事例からの推論です。子犬やウリボウは縄文人にとって親しみのある仲間だったと考えられます。
 今年度の展示では、縄文ムラに住み着いたウ〜リィちゃんが、ムラの中をあちこち気ままにお散歩しているといった感じにしています。現在、ウ〜リィちゃんが身を隠しているススキは、縄文人が森を切り開いたことを暗示した植物です。そして住居の屋根材でもあります。
 さて、ウ〜リィちゃんは、どこにいるでしょうか。常設展示の縄文阿久ムラで探してみてください。
※阿久(あきゅう)は諏訪郡原村にある遺跡で、中央自動車道建設に伴い1976〜78年に発掘調査されました。歴史館で再現した縄文時代前期のムラ跡は、保存運動が高まりを受けて、道路の下に埋没保存されています。

常設展示の縄文コーナーでウ〜リィちゃん(ウリボウ)を探してみよう!
今日のうり坊
[ 2017-04-29 ]

おクニ自慢の土器大集合! 〜縄文土器展への招待状 その3〜

お知らせ

 常設展の縄文コーナー。透明なアクリルボードをリニューアルし、見やすくなった点にお気づきでしょうか。スペースに余裕も生まれたため、展示資料数を増やしましたので、ぜひご覧ください。また、アンケート用紙にご意見・ご感想をいただけると幸いです。
 増えたのは、秋季企画展向けの縄文時代中期の土器です。見どころは、一つのムラ(塩尻市剣ノ宮(つるのみや)遺跡)にさまざまな地域の土器が入って来ていた状況を示した点です。「おクニ自慢の土器大集合!」といった感じです。縄文時代の研究では、土器の材料(粘土と混ぜる砂)や、同じ装飾を持つ土器の広がり方の分析が進んでおり、地域ごとに個性豊かな土器が作られていたこと、しかも盛んに各地に運ばれていた実態がわかってきています。
 剣ノ宮遺跡は、塩尻峠と善知鳥峠の麓に位置し、当時も交通の要衝だったとみられます。立地の良さもあってか、近隣の諏訪・上伊那・松本平南部と共通の装飾を持つ土器の他、下伊那地域の土器、東信地域の土器、遠くは東海地域や西日本系統の土器などが見つかっています。
 さまざまな産物が行き交う交易の場では、土器は商品の入れ物や、運び人の自炊道具として持ち込まれた可能性もありますが、最も多かったのは、物々交換での交換用や贈答品だったと考えられます。なぜなら、本家本元でもなかなか見つからないような、小形の優品が遠隔地から見つかっているからです。“おクニ自慢”の土器を見せれば、どこの地域から来たのかが一目瞭然です。長年の友好関係の証としての贈答品だったのかも知れません。一方で、遠隔地の土器に似せて作った例も見つかっています。遠隔地の珍品を欲しがる人に、中間地域で作ったまがい物を混ぜて渡していたのかも知れません。
 さて、他地域の個性豊かな作品を見た土器製作者たちは、対抗意識を燃やし?さらに独自性豊かな土器を作ろうとしました。逆に、ちゃっかり真似してみたような例もあります。そのあたりの話は、次回以降していきたいと思います。ご期待下さい。

おクニ自慢の土器大集合! 〜縄文土器展への招待状 その3〜
西日本・東海・東信・下伊那の土器
おクニ自慢の土器大集合! 〜縄文土器展への招待状 その3〜
常設展示室でリニューアルされた展示資料 左4個体は筑北村東畑遺跡、中央付近が塩尻市剣ノ宮遺跡の土器
[ 2017-04-22 ]

田中芳男展を開催します

お知らせ

4月19日付け信濃毎日新聞「斜面」で長野県飯田市出身の博物学者田中芳男(1838〜1916)が紹介されました。幕末から明治初、パリ、ウィーン、フィラデルフィアの3つの万国博覧会に派遣され、西欧の博物館の考え方を日本に初めて招来した人物です。博物館や美術館、動物園が建ち並ぶ上野公園の礎を築いたのが田中芳男でした。「日本における博物館の父」とも呼ばれています。
また、長野県ともゆかりの深いリンゴの移植・普及など、様々な農作物の品種改良にも取り組み、東京農業大学の初代学長も務めました。

 田中芳男が生まれた飯田は、中馬と呼ばれる民間輸送者の活躍がよく知られた地域です。東西交通の要衝、「文化の十字路」といわれています。芳男は、本草学をはじめ、医学、洋学、国学が隆盛する豊かな文化風土のなかで育ち、10代半ばに名古屋に出、やがて勝海舟らが中心になって幕府が開設した蕃書調所で西洋の物産・文化の研究に従事しました。
幕府が倒れると、新政府に出仕。万博で知り合った薩摩藩出身の町田久成や大久保利通らの支援を得ながら、大学南校、文部省、内務省、農商務省で博物館、博覧会行政の中心として活躍します。東京国立博物館、国立科学博物館、恩賜上野動物園(いずれも台東区上野公園)、国立国会図書館(千代田区)。みなさんよくご存知のこれらの施設の源をたどると、そこに田中の姿があります。

なぜ、芳男が博物館建設に人生を賭けたのか。幼年の頃、父から厳しく諭され、生涯、行動の起点にしたという言葉にヒントがあります。
「生まれたからには、自分相応な仕事をし、世の中に役に立たなければならない」。
 博物館こそは、田中にとって人生を賭して日本に植え付けるべき「世の中に役立つ」施設だったのです。人間が作り出してきた様々な文物、文化を収集、保存、研究、展示する博物館をつくることで、たくさんの人たちが、自らの歩みを振り返り、今を見つめ、未来を展望し、歩み出すことができると信じたのです。
「人々の生活をよりよいものにする」、その思いが田中の生涯にわたる膨大な実践と、博物館建設の夢を支えました。
 さらに言えば、芳男は、広い意味での博物館として動物園や植物園をも含んだ文化施設、文化空間を理想としていました。上野公園に動物園があるのは、その影響です。彼は人間だけでなく、様々な生き物たちの生命が共鳴しあう世界の建設を夢見ていたといえるでしょう。「環境の世紀」といわれる現代を先取りしています。
博物館を観光施設と考える方もいるかもしれません。確かにそういう側面はあります。けれど、博物館の本質は、田中芳男にとっては、歴史を見つめ、よりよい未来を作り出すための学びの出発点となる場だったのです。その意味で私たちは、日本に博物館を創った田中芳男を誇りに思います。

 長野県立歴史館は、田中芳男を生んだ信州の、県立としては唯一の歴史系博物館です。私たち学芸員は、よりよい長野県を作るために歴史館はどうあるべきか、何をなすべきかを真剣に考え、誇りをもって勤務しています。年間2万人近い数の県内外の小中高生が来館し、利用者は10万人を超えます。私たちは日々、たくさんの皆さんと、展示や講座を通じて語り合う営みを続けています。この「語り合い」の中から、子ども達の学ぶ意欲や、地域おこしのヒント、高齢者の方々の生き甲斐(元気)が見つかります。
たしかに、「観光」は博物館や学芸員の役割の一つといえます。しかし、本当の意味での観光や「観光マインド」は、自分の足下をしっかり見つめることから生まれる自信に支えられなければ魅力的なものにならないでしょう。遠い未来の、よりよい長野県を思い描きながら、自信をもってお客様にそれを語り、考えていただけるよう、私たち学芸員は資料の収集、整理、保存、研究、展示作業に取り組んでいます。

 そして、こうした努力は、当館だけでなく、それぞれの地域の博物館施設の学芸員が地道に続けているものです。長野県には多数の博物館があり、学芸員の要件を満たす施設の数は全国有数です。日本に博物館を創った信州人田中芳男の生涯に想いを馳せると、現在に繋がる不思議な縁(えにし)を感じます。

 当館では今年12月より来年2月にかけ、田中芳男を取り上げた企画展を開催します。田中芳男の出身地飯田市美術博物館では、長年にわたって田中芳男関係資料の収集をおこなってきましたが、このコレクションが、まとまったかたちで展示されることはこれまでありませんでした。今回の企画展では、当館と飯田市美術博物館が連携し、飯田という風土や、田中芳男のたぐいまれな業績を顕彰するとともに、みなさまが「博物館とは何か」ということを考えていただく機会になれば幸いです。(学芸部長 青木隆幸)

田中芳男展を開催します
田中芳男(飯田市美術博物館『日本の博物館の父 田中芳男』)より
[ 2017-04-20 ]

学校見学で大人気!−古代風おにぎり弁当−

お知らせ

新年度を迎え、当館への学校見学のシーズンがやってきました。連日多くの小学生が訪れ、楽しみながら歴史について学ぶ姿が見られています。
学校見学の昼食として人気があるのが、当館内の軽食・喫茶「科野の里」の「古代風おにぎり弁当」です。当館に見学に来る小中学生のために、当館開館時に開発されたメニューです。お弁当の中身は、「古代紫米入りごはん」「キビ入りごはん」「鶏肉のエゴマ入り衣揚げ」など昔の人びとが食べていた食材が使われており、歴史の学習にもつながります。科野の里歴史公園の復元住宅や山頂の森将軍塚古墳を眺めながら、当館横の芝生広場でこのお弁当を食べれば、またひと味違ったものになるかも知れません。
「古代風おにぎり弁当」は小中学生の見学限定で、価格は540円です。おにぎり3つバージョン(650円)もあります。大人用の古代風弁当(900円)、特上古代風弁当(1150円)も用意できるそうです。何れも予約制で、1週間前までにご注文をお願いします。くわしくは、軽食・喫茶「科野の里」までお問い合わせください。

長野県立歴史館内  軽食・喫茶 科野の里
電話 026−274−2000(歴史館代表)内線166
[営業時間]10:30〜16:30
[休業日]歴史館と同じ

学校見学で大人気!−古代風おにぎり弁当−
古代風おにぎり弁当(540円) 要予約
[ 2017-04-18 ]

当館所蔵の海外移民史料と、皆様へのお願い

お知らせ

 先日、当館に兵庫県の方が長野県のブラジル移民について資料調査にいらっしゃいました。建築がご専門で、移民した方々が現地で建設した建物を調査されているとのこと。長野県からの移住者が建てた家屋もあり、移民の歴史的背景や当時の現地の様子、移民者のファミリーヒストリーを明らかにしたいとのことでした。
 長野県は、日本一多くの満洲移民を送り出した県ですが、その理由の一つとして、大正期にブラジル移民が積極的に実施され、功を奏していたことが上げられます。なかでも、サンパウロ州郊外への移民は、現地の言葉で協力、和合を意味する「アリアンサ」移民と呼ばれました。
 当館にはブラジル移民を推進した信濃海外協会の史料の一部が県立図書館を経由して移管されています。320冊にのぼる貴重な史料です。
 今回調査にいらした方は、移民家族のアルバムなど、初めて見る資料が多かったと大変喜んでお帰りになりました。
 ブラジル移民を含む信濃海外協会の資料は当館ホームページで検索できます。まだまだ研究されていない膨大な資料が書庫に保管されています。
 これからもそんな史資料たちをご紹介します。ぜひご利用下さい。

(追記)
調査にこられた方からご質問をいただきました。移民する前に撮影したと思われる写真です。写っている学校の名前を知りたいとのことです。下伊那の学校だろうとのことです。ご存知の方、是非歴史館にご連絡下さい。

当館所蔵の海外移民史料と、皆様へのお願い
この校舎ご存知ですか?
当館所蔵の海外移民史料と、皆様へのお願い
当館の移民関係史料
[ 2017-04-08 ]

古文書公開日記−もうひとつの明治維新−

お知らせ

文献史料課の仕事はあまり皆さんの目に触れることはありません。現在当館は古文書約20万点、行政文書約10万点以上を収蔵しています。わたしたちは少しでも多くの史料を公開し県民の皆さんに閲覧していただけるように日々整理作業をおこなっています。そこでブログでも少しでも新着の公開情報を更新していきたいと思います。
今回は一昨年新たに所蔵し、つい1ヶ月前の3月に新たに公開対象となった「松本藩士荒川家文書」(5-38)を少しだけ紹介します。
今年は明治維新150年の年です。旧江戸幕府を倒すための内戦と新政権樹立までの過程を明治維新といいます。長岡周辺で戦闘となった北越戦争に新政府軍として参戦した松本藩士荒川右門太は、従軍記録や戦地絵図をたくさん残しています。例えば写真1は、越後国内の絵図で会津へ抜ける街道周辺の様子を書き記しています。とくに「この間人家なし」「人馬平日通行す」「馬通行できず」などといった図面上の細かな記述は、行軍の際に必要な情報を収集しながら書き込んでいったものと思われます。
また非常に面白いのは、右門太は家族にあてた書翰のなかに、戦況や行軍路などを事細かに記録し報告していることです。3ヶ月の間に15通も残されています(写真2)。これらを読み解くことで新しい北越戦争の事実が見えてくるかも知れません。
明治維新後の右門太は貞正と名を改め、建築関係の仕事についたようです。その晩年の戯作文(戯れに書いた文章)は、思わず笑いがこみ上げてくるものです。
こうした文書を書き残した150年前の右門太がどういう人物だったか。紙と墨で書かれた古文書を目の前にしてそんなことを想像してみます。文書の整理作業は、右門太のような人たちとの対話でもあるのです。

古文書公開日記−もうひとつの明治維新−
三国街道周辺絵図部分
古文書公開日記−もうひとつの明治維新−
従軍書翰
[ 2017-04-04 ]

歴史館オリジナル「アルクマ」ピンバッチ発売中!

イベント

県民のみなさまに当館をより身近に感じていただくため、長野県PRキャラクター「アルクマ」のオリジナルピンバッチを制作いたしました。去る3月20日(月・祝)には、親子映画会に合わせ、「アルクマ」が来館し、発売記念イベントを開催しました。イベントでは、オリジナル「アルクマ」パネルの除幕、笹本館長によるあいさつ、「アルクマ」との記念撮影などを行い、お子様をはじめ、多くの方々の前でお披露目をすることができました。

歴史館オリジナル「アルクマ」ピンバッチは、おなじみの長野県PRキャラクター「アルクマ」と、当館が所蔵する長野市松代の松原遺跡出土の「トロフィー形土器」をデザインしたもので、当館のミュージアムショップでのみ販売されています。価格は500円です。来館の記念にぜひお買い求めください。

また、ピンバッチと同じデザインの来館記念のパネルも制作いたしました。「長野県立歴史館」の文字と日付が入っており、来館記念の写真撮影にぴったりです。当館エントランスに設置してあります。ご自由に写真撮影ができますので、こちらもご利用ください。

歴史館オリジナル「アルクマ」ピンバッチ発売中!
アルクマがやってきた!
歴史館オリジナル「アルクマ」ピンバッチ発売中!
県立歴史館オリジナル「アルクマ」ピンバッチ
[ 2017-03-22 ]

元祖!進化するヘビの精霊 〜縄文土器展への招待状 その2〜

お知らせ

 館長のフェイスブックに紹介された蛇体装飾付土器(小諸市郷土(ごうど)遺跡)を、3月から常設展示室に展示しました(写真上)。「これがヘビ?」「トカゲだろう?」「いや、縄文人は恐竜を知っていたんだよ」等々の声が聞こえてきそうです。みなさん、いろいろと想像をふくらませてみてください。あるいは、縄文人は精霊(カミ)を表現しているのだから「現実にいるモノではない」のかもしれません。
 それでも、私たちが蛇体と呼ぶのには、より古い土器にヘビっぽい前例があるからです。 考古学では、あるモノが時代とともに変化することを「系統」としてとらえます。このヘビの系統は、尖石遺跡出土品(図)などから変化したと考えられます。図右の古手のヘビはとてもリアルです(実物は茅野市尖石縄文考古館で見てね)。ところが、次の段階の図左では、ヘビらしかぬ動き(鋭角に、しかも上下方向に蛇行する)に変わります。さらに郷土遺跡の例では、さまざまな飾りがトッピングされ、ヘビには見えなくなります。器の形も大きなヘビの精霊を乗せやすくし、目立たせるために変形します(青→)。
 こうした縄文人の発想は、今どきの子どもたちが夢中なアニメ・ゲームの妖怪やモンスターの「進化形」と似ています。変形し、大きくなり、飾られ、合体しながらバージョンアップするのです。郷土遺跡の例は最もレベルアップした形で、「とぐろヘビ」の進化形「ごうどドラゴン」といった感じでしょうか。縄文人も形や大きさを進化させることで、精霊のパワーがアップすると考えたのでしょう。
 ところで、いにしえの精霊は今どきの妖怪につながるとの説があります。さまざまなモノに宿り、説明のつかないできごとは彼らのしわざだ、という考え方です。精霊はヒトには見えない、見てはいけないモノですが、“お願いごと”をするには形が必要です。そこで縄文人は、ヒトやヘビなど「自分たちの知っているモノ」に似せて表現したのかも知れません。この辺の発想も今どきの子ども(作者は大人ですが)と共通していそうです。 
 現在、常設展示室には、別系統の蛇体(札沢遺跡)や、人体(東畑遺跡)のついた土器も展示しています。ぜひ、ご覧になってください。また、秋の縄文土器をとりあげる企画展ではさらにバージョンアップさせますので、ご期待ください。

元祖!進化するヘビの精霊 〜縄文土器展への招待状 その2〜
常設展示室の郷土遺跡出土土器
元祖!進化するヘビの精霊 〜縄文土器展への招待状 その2〜
茅野市尖石遺跡出土土器(茅野市教委2007に加筆)
[ 2017-03-17 ]

雛人形展示しました。

お知らせ

 常設展示室近世の展示コーナーに江戸期から明治期にかけての雛人形を展示しました。
江戸時代中期以降、江戸日本橋十軒店で雛の販売が本格的になる中で、中山道、北国街道、甲州道中などを通じて、小諸、上田、松代、松本などの城下町の雛店に雛人形がもたらされました。上田城下では大坂屋、松本城下では生安寺小路(現在の通称は高砂町)の雛店が有名です。
2月の下旬には店頭に並べられ、城下町の豪商はもとより、各地の村役人層を中心に購入され、また松本押絵、土雛、達磨も手頃な贈答品として購入されました。
当館に所蔵されている享保雛や古今雛から、江戸時代の節句の一断面をご覧いただきたいと思います。

一般の庶民が紙製の雛や、土製の雛で上巳の節句(雛祭りのこと)を祝う中で、豪農や豪商クラスの人々は享保雛や古今雛など衣裳雛を贈答品として使っていました。
享保雛は江戸時代に流行した衣裳雛です。江戸時代中期以前から発達したとされるもので、面長な顔立ちや女雛の袴がふくらんでいる所などに特徴があります。「享保」という名称は当時使われていた名称ではなく、明治以降に名づけられたものです。
古今雛は江戸時代の中ごろ、安永(1772〜81年)頃に江戸の町で製作・販売が始まった人形で、現在の内裏雛はこの系譜をひきます。「古今雛」の名称も当時から使われていました。今回は、諏訪郡富士見町の旧家から寄贈いただいた二対の享保雛、千曲市の旧家から寄贈いただいた二対の古今雛を中心に展示します。
展示期間は3月7日(火)から3月26日(日)までです。 

雛人形展示しました。
古今雛(当館蔵)
[ 2017-03-08 ]

おおきなおなべとちいさなおなべ -縄文土器展への招待状 その1- 

お知らせ

 秋の縄文土器展に向け準備をはじめています。実はここだけの話ですが、3月後半から始まる常設展示室の縄文コーナーは、秋の本番に向けての前振りです。常設展を見ながら、秋の企画の意図・思惑を感じていただけばと思っております。
 と言うことで、最初にご紹介する土器(写真)は、塩尻市剣ノ宮(つるのみや)遺跡の同じ竪穴住居跡から出た大・小2点です。塩尻市平出博物館からお借りしてきました。
この二つを見ると、二宮由紀子作・石黒ヒロユキ絵『おおきなおなべとちいさなおなべ』を思い出し、ほのぼのとした笑いがこみ上げてきそうです。相手よりも自分が優れている点を自慢しあいながらも、各々の利点を生かし、協力して料理を作り、最後は同じ棚に仲良く収納されるといった筋だったと記憶しています。未就学児向けの絵本ですが、自家製土器を自慢して他地域のモノを貶(けな)しつつ、それでも相手の良さも気になってしまい、折り合いをつけていく・・・。縄文人にも、われわれにも通じる話です。
 ところで、故佐原真先生がおっしゃっていたように、暖かい国の鍋は浅く、寒さの厳しい北国の鍋は深くなる傾向があります。約5千年前の縄文時代中期ですと、常緑の照葉樹林帯にあたる西日本や東海では浅くて薄い鍋、落葉広葉樹林帯から北の中央高地〜北海道では深くて分厚い鍋が多くなります。「寒い冬は、いろりの灰の中に深い鍋を差し込んで、コトコト煮込むのが一番!」なんて思っていた剣ノ宮遺跡の縄文人、西から運ばれてきた“ちいさなおなべ”を見て、何と思ったのでしょうか?鍋と思わなかったのか、この土器の内外面には赤彩が施されていました。
 さて、あまりネタばらしをしてはいけないので、常設展示室で“凸凹コンビ”のホンモノを見つけていただき、「なぜ運ばれてきたのか」「どうしてこんなに違うのか」「似ているところは」等々、いろいろと想像を巡らせてみてください。

おおきなおなべとちいさなおなべ -縄文土器展への招待状 その1- 
地元の深い鍋と、西日本から来た浅い鍋 剣ノ宮遺跡 第27号住居跡出土土器(塩尻市平出博物館蔵)
[ 2017-02-28 ]

軽食・喫茶「科野の里」でほっと一息

お知らせ

 当館エントランスに入って左奥にある軽食・喫茶「科野の里」をご存知でしょうか。当館の見学や講座・講演会の後に立ち寄り、感想を話されていくお客様もいらっしゃるようです。

 開館当時からこの「科野の里」を切り盛りしているのが村山さんです。当館のことはもちろん、地域のことにもくわしく、頼りになります。明るく気さくな方なので、村山さんの人柄に惹かれて立ち寄る常連さんもいらっしゃいます。メニューはドリンク類と軽食があります。軽食はほぼワンコインなので、気軽に利用できます。

 通常のメニューではありませんが、学校の団体見学限定(10名様以上)で「古代風おにぎり弁当」が用意されています。古代紫米を使ったおにぎりなど当館の見学時にぴったりの内容で、大変人気があります。こちらは要予約となっていますので、ご注意ください。

 まだまだ寒い日が続きますが、当館ご来館の折には、軽食・喫茶「科野の里」の温かい飲み物や食事でほっと一息されてはいかがでしょうか。

村山さんから一言
「店内に一歩足を踏み入れたお客様はすぐに仲良しになれる憩いの空間で、みなさん楽しく語らっておられます。貴方もお仲間になりませんか?お待ちしております。」

軽食・喫茶「科野の里」でほっと一息
軽食・喫茶「科野の里」
軽食・喫茶「科野の里」でほっと一息
山菜そば 500円
[ 2017-02-20 ]

王滝村崩越(くずしご)遺跡の土器がふるさとに帰ります

お知らせ

 常設展示室の縄文コーナーを飾っていた木曽郡王滝村崩越遺跡出土の土器群が、2月末で展示を終了し、3月にはふるさとの王滝村へ帰ります。
 当初は、昨秋の『木曽の宝』展に合わせて借用・展示する予定でしたが、「木曽の宝が北信にやって来るせっかくの機会」ということで、1年間にわたって公開させていただきました。王滝村のみなさん、ありがとうございました。
 この資料は、「木曽は文化の十字路」ということが、約5千年前の縄文時代中期においても実感できる例です。1軒の竪穴住居跡から、松本・諏訪・伊那、さらには岐阜や静岡、北陸にルーツを持つ土器が出土したからです。木曽縄文人にとっても、現代人にとっても、各地の土器を一目で見比べることができる「お得感のあるセット」です。
 展示期間は残りわずかとなりました。開催中の『信濃国の城と城下町』展と合わせ、ぜひご覧ください。お待ちしております。

王滝村崩越(くずしご)遺跡の土器がふるさとに帰ります
常設展示室での展示風景
[ 2017-02-14 ]

県内ケーブルテレビ局との連携を進めます

お知らせ

 日本ケーブルテレビ連盟信越支部長野県協議会と当館は、「番組制作及び放送等による地域連携事業の実施に関する協定書」に調印いたしました。これにより、歴史館の講座やイベントの映像が協議会に加盟している県下33のケーブルテレビ局(エリア内視聴可能エリア405,000世帯)で放映され、より多くのみなさまに歴史館や信濃の歴史を身近に感じていただけるようになります。また、制作された映像を当館でも活用できるよう準備を進めて参ります。なお、このような取り組みは全国的にも例がないものです。

 1月27日に行われた調印式では、日本ケーブルテレビ連盟信越支部長野県協議会の 原 勉 会長と当館 笹本正治 館長が協定書に署名捺印し、協定が締結されました。また、会場には、マスコミ各社が取材に訪れ、関心の高さが伺えました。今後も県民のみなさまが身近に感じ、利用しやすい歴史館をめざし努力を重ねていきます。 

県内ケーブルテレビ局との連携を進めます
調印式の様子(1/27県立歴史館にて)
[ 2017-02-02 ]

防災訓練を実施しました。−文化財防火デー−

お知らせ

 1月26日、当館にて「文化財防火デー」に伴う防災訓練を実施いたしました。文化財防火デーは、昭和24年1月26日に法隆寺(奈良県)の金堂が炎上し、貴重な文化財が失われたことをきっかけに、昭和30年に制定されました。毎年全国各地の文化財所在地で防火訓練が実施されてきています。
 今回の訓練は、当館職員だけでなく、千曲市教育委員会歴史文化財センター、千曲坂城消防本部、千曲市消防団のみなさんも参加しておこなわれた大規模なものでした。当館での訓練では火災発生を想定し、来館者の方々の避難誘導、けがをした方の救護、初期消火訓練を実施いたしました。当館では来館されている方々の安全を確保することを第一に考え、日頃から避難経路や避難方法の確認しております。また、大切な文化財を預かる施設ですので、万が一にも火災が発生しないよう入念な安全点検を実施しております。
 訓練では、ポンプ車やはしご車による放水訓練も行われました。迫力があり、思わず見入ってしまいましたが、このような光景を、実際の災害で見ることがないよう日々防災を心がけていきたいものです。

防災訓練を実施しました。−文化財防火デー−
はしご車による放水訓練
防災訓練を実施しました。−文化財防火デー−
負傷者の搬送訓練
[ 2017-01-26 ]

回想法の講習会が行われました−博物館の新しい活用法−

講座・セミナー

 「回想法」という言葉を聞いたことがありますか。過去のことを回想することで、認知症等の予防につなげようとする健康法です。
 1月13日に当館を会場に、長野県長寿社会開発センター長野支部主催で回想法の講習会が開かれました。講師の日本福祉大学 来島修志先生の楽しい講義、グループでのワークショップ、回想法での活用を見据えた当館の常設展示の見学などを行いました。50名ほどの参加者が熱心に講習に取り組んでいました。
 当館には、昔懐かしい展示が多数あります。江戸時代の農家の復元家屋、大正時代の学校の教室、昭和に使われた洗濯機やミシンなどの家電製品です。展示を見学しながら昔話に花を咲かせているお年寄りの姿もよく見かけます。回想法の講習会に参加させていただき、文化財に触れ、歴史を学ぶだけでなく、このような新しい博物館の活用法があるのだなと感心させられました。
 寒い時期ではありますが、気の合う仲間とぜひ当館に足をお運びただき、昔話に花を咲かせてみてはいかがでしょうか。

回想法の講習会が行われました−博物館の新しい活用法−
当館常設展示室 懐かしい家電製品
回想法の講習会が行われました−博物館の新しい活用法−
「地域回想法を学ぶ」講習会の様子
[ 2017-01-19 ]

やさしい信濃の歴史講座

お知らせ

長野県立歴史館では、長野県の歴史をわかりやすく紹介する「やさしい信濃の歴史講座」を毎年開講しております。今年度の共通テーマは「山と信州のあゆみ」です。

12月24日(土)に行われた第2回「山への憧(あこが)れ」では、「菅江真澄・ウェストン・シュタイニッツアーが見た信州−紀行文から信州の生活誌を探る−」と「SHIGA・KOGENの誕生−山稼ぎの地から国際的リゾート地へ−」の2つの講座が開講され、120名の参加者が熱心に聴講されていました。

今年度の「やさしい信濃の歴史講座」は全7回の予定です。今後の日程と講座内容は次のようになっております。ぜひお出かけください。なお、聴講には観覧料が必要になります。今年度のやさしい信濃の歴史講座開催日に限り有効の「やさしい信濃の歴史講座期日限定券」(700円)も販売しておりますので、ぜひご利用ください。

■第3回 1月7日(土)テーマ:山に棲(す)む
 「黒曜石鉱山からクリ林の里山まで−高低差800mを使い分ける縄文人−」 寺内隆夫(当館職員)
 「北アルプス山中の近世集落−常念岳山腹烏川谷を例に−」百瀬新治 氏(安曇野市豊科郷土博物館 館長)
■第4回 1月21日(土)テーマ:学校と山
 「学校登山のはじまり−長野県師範学校・長野高等女学校−」 市川 厚(当館職員)
 「学校林が果たした役割の変遷−更級・埴科地方を中心に−」 溝口俊一(当館職員)
■第5回 2月4日(土)テーマ:山と美術
 「描かれた「日本アルプス」−江戸から明治へ−」 林 誠(当館職員)
 「山をめぐる信仰とその造形について」 織田顕行 氏(飯田市美術博物館 学芸員)
■第6回 2月18日(土)テーマ:山と神仏
 「活火山・浅間山と信仰」 山田直志(当館職員)
 「九頭竜神のいわれと戸隠信仰の始まり」 渡邉 玄(当館職員)
■第7回 3月11日(土)テーマ:密教寺院と山
 「続・東の牛伏寺・西の若沢寺−山寺の信仰史−」 原 明芳(当館職員)

やさしい信濃の歴史講座
[ 2017-01-04 ]

木曽の宝9−企画展が無事に閉幕−

イベント

11月27日(日)、秋季企画展「木曽の宝」は、無事に閉幕しました。
期間中、多くのお客様にご観覧・ご参加いただきました。

○展示をたっぷり観覧し、木曽の魅力に触れ、「次の週末に木曽に行ってみます」と、東北信にお住まいの方(木曽にはほとんど行ったことがないとのこと)。
○県外からお出でいただき、「長野県にはすばらしい場所がたくさんありますね」と言われていた方。
○「ホンモノの仏像や刀がすごかったよ」との感想を口にしてくれた小学生。
○「木曽馬はかわいいね。保存活動、是非がんばってください」と熱のこもった言葉を伝えていた方。
○「伝統文化を残そうと努力されている木曽の方から学びたい」と、保存会の皆様に積極的に質問していた方。
○「大昔は私の住んでいるところが文化の中心、日本の中心だったんだよ」と豪快に笑われていた方。
○「数十年前、この遺跡発掘のときにね、私は高校生でね、一緒に掘らせてもらったんだよ。懐かしいなあ」と柳又遺跡の石器を見ながら話されていた方。
○「ふるさとのよさを再発見しました。ありがとう」と、感激の声を寄せてくださった方。

木曽からお借りした100余点の「宝」は、12月上旬、元の場所に戻りましたが、今でもたくさんの方々の声や姿が脳裏によみがえってきます。

秋季企画展「木曽の宝」に際しまして、ご観覧・ご参加いただいたすべての方に感謝申し上げます。
ありがとうございました。

木曽の宝9−企画展が無事に閉幕−
木曽からお出でいただいたお客様が展示室に入るところ
木曽の宝9−企画展が無事に閉幕−
木曽の将来を担う子どもたちも多数来館(写真は加工してあります)
[ 2016-12-14 ]

木曽の宝8−またまた木曽馬がやってきた!−

イベント

11月12日(土)13日(日)両日は、秋季企画展「木曽の宝」関連イベントとして、「木曽馬と遊ぼう」を行いました。
今回来てくれたのは、15歳のめす馬・空(そら)号です。
人間で言うとおばあちゃんになりかけの歳だそうですが、それでもまだまだ働きざかりとのことで、元気いっぱいです。

13日には、スペシャルイベントとして、50kgを超す木材を運ぶ馬搬(ばはん)という作業の実演を披露してくれました。
農耕馬として人々とともに生活してきた木曽馬をイメージすることができました。
さらに、引き馬体験ということで、多くのお客様が木曽馬に乗りました。鞍の上に座り、突き上げるような独特の振動を感じながら進み、貴重な体験となったようです。

12日の講座では、木曽馬保存会・中川氏より、木曽馬の歴史と現状についてお話を伺いました。
現在では、全国に150頭弱しかいない木曽馬。その保存活動を担っている方々の「熱意に感動した」という感想が印象的でした。

木曽馬についてじっくり触れ、考えることができた2日間でした。

木曽の宝8−またまた木曽馬がやってきた!−
ホンモノの木曽馬(空号)と当館展示(製作)の木曽馬との貴重なツーショット
木曽の宝8−またまた木曽馬がやってきた!−
引き馬体験の光景
[ 2016-11-24 ]

木曽の宝7−開田高原の伝統芸能に親しむ−

イベント

11月3日(木・祝)には、科野の歴史公園で「森将軍塚まつり」という大きなイベントが行われました。
野外ステージでは20を超す団体による発表がありましたが、その中で、長野県立歴史館の秋季企画展「木曽の宝」に関連して、木曽の文化に触れる機会を設けました。
開田高原の民謡保存会「ゆるり会」、開田小学校6・2年生、地域協議会のみなさまによる発表もありました。
「開田嫁入り唄(こちゃ節)」「開田高原姫獅子舞」を披露していただきました。

開田嫁入り唄…娘を嫁がせる父親の切ない気持ちを唄っています。現在でも婚礼や酒の宴で唄われることがあります。もともとは単にこちゃ節と言っていましたが、後の世に開田嫁入り唄と新たに名付けられました。

開田高原姫獅子舞…開田高原把之沢(たばのさわ)地区で、かつて祝い事の際に舞われていたのが姫獅子舞です。江戸時代の物語を唄と舞いにしたものといわれています。

唄は、大人から子どもまで、元気よく、それでいて切ない気持ちを感じる声でした。
獅子舞は、笛太鼓、舞い、唄が実にすばらしく、最後の口上も迫力満点でした。
開田高原に伝わる伝統芸能を見ることができ、観客の方々から「大感激」との声が聞かれました。
なお、長野県立歴史館の常設展示室入口では、現在、その映像をご覧いただくことができます。

木曽の宝7−開田高原の伝統芸能に親しむ−
「開田高原姫獅子舞」発表
木曽の宝7−開田高原の伝統芸能に親しむ−
「嫁入り唄」の発表(写真は加工してあります)
[ 2016-11-23 ]

木曽の宝6−大桑村の伝統芸能に親しむ−

イベント

11月3日(木・祝)に、科野の歴史公園では「森将軍塚まつり」という大きなイベントが行われました。
野外ステージでは20を超す団体による発表がありましたが、その中で、長野県立歴史館の秋季企画展「木曽の宝」に関連して、木曽の文化に触れる機会を設けました。
大桑村の須原ばねそ保存会と大桑小学校6年生のみなさんには、「須原ばねそ」「木曽踊り」を披露していただきました。

須原ばねそ…須原ばねそは、大桑村須原地区で古くから唄われる民謡・盆踊りです。ばねそとは、はね踊る衆という意味で、楽器を用いない3種類の地唄を総称して須原ばねそと呼びます。600余年前に京都の文化が人の往来とともに木曽に入り、庶民文化として定着しました。

木曽踊り・木曽節…木曽節は木曽で生まれた日本を代表する民謡の一つです。現在の盆踊りのスタイルは、大正から昭和にかけて整理・普及されたものです。

お揃いのはっぴを着て、息の合った踊りを見せてくれました。
大桑村に伝わる伝統芸能を見ることができ、観客の方々から「大満足」との声が聞かれました。
なお、長野県立歴史館の常設展示室入口では、現在、その映像をご覧いただくことができます。

木曽の宝6−大桑村の伝統芸能に親しむ−
「須原ばねそ」の発表
木曽の宝6−大桑村の伝統芸能に親しむ−
当日は大勢のお客様がいらっしゃり、晴天のもと、イベントを楽しみました
[ 2016-11-22 ]

木曽の宝5−イベント満載の企画展です!−

イベント

秋季企画展「木曽の宝」では、木曽の文化に触れる関連イベントを行っています。
10月10日(月・祝)には、「南木曽町田立の伝統芸能に親しむ」として、花馬祭り、歌舞伎の紹介を行いました。
伝統文化が現在まで続くにあたっては、地域の皆様の熱い思いが大きな支えになっていることを知りました。
途中には、子どもたちと保存会の方々がお囃子の実演をしてくれました。
(写真1=お囃子の実演)
イベント終了後には、花馬の背にある「花」や木曽檜箸のプレゼントもありました。
(写真2=「花」のプレゼント)
木曽に伝わる文化に触れることができる、貴重な場となりました。

10月15日(土)は、「《トークセッション》ここまでわかった木曽の古代」として、考古学と文献学の2つの立場による調査結果や知見を紹介しました。
「横断的な内容で、大変おもしろく拝聴しました。このような幅広い視点の学説がこれからも聞きたいです!」「原、福島両先生の連携がすばらしいトークでした」「トークセッション方式は新鮮でおもしろく、楽しく聞けた。またしてほしい!」など、内容に満足とのご意見を多数頂戴しました。
終了後には、充実した内容のギャラリートーク(展示解説)も行いました。

10月22日(土)は、笹本正治当館館長による「木曽の宝」と題した講演会を行いました。
「木曽の魅力を堪能できた」「実際に木曽に行ってみたい」などの声が寄せられ、木曽をより深く知っていただけたと思います。

   *

「木曽の宝」関連イベントは、まだまだ続きます。

11月3日(木・祝)には、大桑村、木曽町開田高原に伝わる唄や踊りを、現地の子どもたちや保存会の皆様が発表してくれます。
南木曽町を中心とする木曽の物産展も行います。
周辺一帯では、森将軍塚まつりとして各種イベントが盛大に行われますので、是非お出でください。

11月12日(土)、13日(日)には、県天然記念物に指定されている木曽馬が再び登場します。
近くで見たり、写真を撮ったり、引き馬体験(簡単な乗馬)もできます。
木曽馬は日本で昔から飼育されてきた馬の一種です。全国でも百数十頭しかいません。
そのような木曽馬に触れる貴重な機会です。
木曽馬の歴史についての講座(12日)も行いますので、皆様のご来館をお待ちしております。

イベント満載の「木曽の宝」展の開催も、折り返し点を過ぎました。
展示替えを行い、10月25日からは後期の展示となっています。

木曽の宝5−イベント満載の企画展です!−
写真1
木曽の宝5−イベント満載の企画展です!−
写真2
[ 2016-11-01 ]

木曽の宝4−木曽馬が歴史館に登場−

イベント

平成28年度秋季企画展「文化の十字路 木曽の宝」開催中です。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。

この企画展では、木曽の文化に触れるイベントを多数予定しています。
9月24日(土)には、県天然記念物に指定されている木曽馬が登場しました。

開田高原(木曽町)から歴史館に来てくれたのは、平成10年生まれの牝馬(メス)、菜々ちゃんです。
木曽馬は、日本在来馬としての特色をよく備え、温順で人なつっこい性格と言われます。
菜々ちゃんも、やさしい目をした大変に落ち着いた馬でした。
声を掛けると顔を見てくれたり、「足の裏はどうなっているの」と言うと足を上げてくれたりと、賢い馬でもありました。

木曽馬は、11月12日(土)13日(日)にも登場します。
また、企画展示室でも、第4章として、木曽馬を取り上げています。
あわせて是非ご覧ください。

木曽の宝4−木曽馬が歴史館に登場−
菜々ちゃんのアップ
木曽の宝4−木曽馬が歴史館に登場−
木曽馬に乗る少女
[ 2016-09-30 ]

木曽の宝3−開幕のご案内−

イベント

平成28年度秋季企画展「木曽の宝」が開幕しました。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。

ここで、「木曽」について、改めてご説明します。
木曽郡は、長野県の西端に位置します。
(写真1=企画展示室廊下のパネルの一部)
現在の長野県を4つ(北信、東信、中信、南信)に分ける区分では、中信に所属します。
昭和30年代の「昭和の合併」以降は11町村(楢川村、木祖村、日義村、木曽福島町、開田村、三岳村、王滝村、上松町、大桑村、南木曽町、山口村)の木曽郡(旧西筑摩郡)でしたが、「平成の合併」で6町村となりました。
(※楢川村は塩尻市、山口村は岐阜県中津川市へ。日義村、木曽福島町、開田村、三岳村は合併して木曽町へ。)

今回の企画展では、北は旧楢川村から南は旧山口村まで、計8つの市町村すべてから展示資料を出品いただいています。
各地に伝わる貴重な資料の数々が集まりましたので、通常の企画展示室に加えて、第2展示室、廊下のポスター展示、さらには常設展示室にも「木曽の宝」展示資料・関連展示があります。
(写真2=廊下には8市町村によるポスター展示)
また、7〜8月の夏季企画展「夢をのせた信州の鉄道」でご好評をいただいた「木曽森林鉄道レトロムービー」映像も、リニューアル版をご覧いただけます。

木曽在住や出身の皆様には、郷土のすばらしさを再発見いただける企画展になればと願っています。
また、普段は木曽に馴染みのない皆様にも、歴史の香り豊かな木曽地域の文化財に触れていただき、長野県のもつ魅力やすごさを感じていただければと思います。
この秋、是非、長野県立歴史館にご来館ください。

木曽の宝3−開幕のご案内−
写真1
木曽の宝3−開幕のご案内−
写真2
[ 2016-09-28 ]

木曽の宝2−山の恵み・山菜−

イベント

「山菜の王様」というと、何を思い浮かべるでしょう。
タラの芽、コシアブラ、ワラビ、……

6月下旬、当館笹本館長が大桑村で講演会を行いました。
休憩時、館長が山菜の話題を出したところ、地元の方々が大桑村の山菜について詳しく教えてくださいました。
その話の中で出てきたのが「シオデ」。
なかなか手に入らないものなので、人によっては「山菜の王様」と呼ぶようです。
とは言うものの、さすがは地元の方々。即座に「あの山の斜面に生えているよ」などと口にされ、あっという間に何本も取ってきてくださいました。

私(企画展担当者)もお相伴にあずかり、数本頂戴したため、帰宅後さっそく調理してみました。
と言っても、軽くゆでただけで、調味料を使わずにそのままいただきました。
「山のアスパラ」とも称される理由がよくわかり、大変おいしかったです。
普段いただくことのできない貴重な味・食感に感激しました。

木曽は豊かな森林に囲まれ、その森林資源が人々の暮らしを豊かに潤してきました。
山菜は山の恵みそのものです。ここにも「木曽の宝」を見ることができます。

秋季企画展「木曽の宝」では、森林資源により生み出された優れた工芸品などを展示します。

*

先頃、秋季企画展「木曽の宝」のチラシやポスター類ができあがりました。開幕まで2週間あまりです。
チラシやポスターは当館及び公共機関などで掲示・配布中です。ホームページ上でも一部ご覧いただけます。

木曽の宝2−山の恵み・山菜−
木曽の宝2−山の恵み・山菜−
[ 2016-09-07 ]

木曽の宝1−食の文化財の宝庫・木曽−

イベント

木曽郡全域のほか、松本市奈川、伊那市西箕輪などでつくられるこの食べ物、ご存知でしょうか。
(写真)
正解は、朴葉巻[ほおばまき]です。

朴葉巻は、あんこを餅で包み、それを葉っぱに包んだ食べ物です。
ホオの木はモクレン科の落葉高木で、長野県では標高1,000m前後の山地帯に自生しています。
ホオの葉には殺菌力があるとされるので、朴葉巻は保存食の一種ともいえます。

長野県は、文化財保護法に掲げられていない食物を対象に、昭和58(1983)年7月、「食(味)の文化財」を指定しました。
最初の指定は、手打ち蕎麦(蕎麦切り)、焼き餅(お焼き)、御幣餅[ごへいもち]、すんき漬、野沢菜の5品目でした。
朴葉巻は、その十数年後、平成13(2001)年3月に長野県選択無形文化財に指定されます。

長野県の西端に位置する木曽地域は、食文化の豊かな地域です。
前述5品目のうち、すんき漬は木曽特有の食べ物ですし、蕎麦切り、御幣餅なども木曽と関係があります。
平成12(2000)年3月には、王滝村の万年鮨が長野県選択無形文化財に指定されるなど、まさに、食の文化財の宝庫ともいえます。

長野県立歴史館では、9月17日(土)より、秋季企画展「木曽の宝」を開催します。
木曽の貴重な文化財等を一堂に集め、ご紹介します。
普段はなじみのない皆様を含めて、多くの方に、木曽の文化に触れていただければと思います。
どうぞお楽しみに。

*

今後、「木曽の宝」に関係する木曽地域や企画展の話題や写真をご紹介していきます。

木曽の宝1−食の文化財の宝庫・木曽−
木曽の宝1−食の文化財の宝庫・木曽−
[ 2016-09-01 ]

失われた鉄路をたどる9 明治時代の土木技術をみる

イベント

 本展示で、問い合わせの多い古写真に目録?21「篠ノ井線西条ー明科間淀ケ沢地区の工事」があります。旧篠ノ井線、安曇野市内の淀ケ沢で煉瓦積み橋梁(暗渠)を造り、その上に大規模な足場を組んで土砂を運ぶ途上、記念写真を撮ったものです。古い文献には「大正時代に起きた土砂災害の復旧工事」と記された例もありますが、所蔵者の話(安曇野市教育委員会経由)や工事内容から、明治時代の篠ノ井線建設当時の写真で間違いないようです。
 注目を浴びる理由の一つは、その勇壮な?作業スタイル(企画展示室か図録で見てください)。二つめは、今どうなっているのか?ということのようです。安曇野市教委によると安曇野市東川手地籍「けやきの森自然園」近くにあたるとのことです。残念ながら、大正時代に大規模な土砂災害があったため、コンクリート製の小規模な暗渠に変わってしまっています。ただし、線路敷までの盛土は健在です。
 小規模な煉瓦造り橋梁と大規模な盛土の組み合わせは、大規模な橋梁を造るよりもお値段的に安あがりで、近くのトンネル廃土を使える利点もあったようです。現在残っている類例には、淀ケ沢から歩いてすぐの小沢川に架かる橋梁と盛土に見ることができます。また、歴史館から最も近い場所では、現在も活躍中の篠ノ井線(千曲市内)で見ることができます。
 小沢川橋梁は煉瓦の積み方に特色があり、美しい仕上がりになっています。このシリーズで紹介した漆久保トンネルの直下ですので、併せてご覧になることをお勧めします。千曲市滝沢川橋梁の近くにも龍洞院架道橋(ともに登録有形文化財)があります。

失われた鉄路をたどる9 明治時代の土木技術をみる
旧篠ノ井線小沢川橋梁と盛土(安曇野市) 淀ケ沢の隣接地で類似工法が現存、盛土はさらに上まで
失われた鉄路をたどる9 明治時代の土木技術をみる
篠ノ井線:滝沢川橋梁(千曲市) 盛土は少ないが、歴史館から一番近い場所にある
[ 2016-08-11 ]

失われた鉄路をたどる8 線路敷の痕跡をたどる

イベント

 今回の展示では、常設展示室へ行く廊下に、県内の主な廃線の現状写真と、現役時代の地図を掲示しています。これまで素通りに近かったボードでしたが、立ち止まってじっくりと見ていただいています。マニアの方からは「数が少ない」「定番の場所しかない」との声もありますが、「昔、乗ったことがあるけど・・・(ずっと無関心になっていて)・・・いろいろ思い出す」とか。「この近くに昔・・・があってね」「いや、ちがうだろう。それはもう少し先の・・・」と話がはずみ、おおむね好評です。写真の数が少ない分だけ「この隣の駅は?」とか、「この先は、どうだったかなぁ」と話がふくらみ、記憶がよみがえるようです。「失われた鉄路をたどる」シリーズとしては、写真にない部分を気にかけていただき、見に行く人が増えれば大成功です。
 ところで、現代の駅や複線化された広い線路しか見慣れていない若い世代にとっては、廃線跡は意外なほど狭く感じることでしょう。単線で付属施設も少ないので、明治から昭和初期には、道路を作るよりも効率的だったのかもしれません。写真のような狭い農道程度の幅、直線か緩いカーブが目の付け所です。
 考古学の場合、遺跡を探す時は、新旧の地形図や土地利用図、新旧の航空写真、古地図や絵図、古写真等々を利用しますが、廃線を訪ねる場合も同様とのことなので、親近感があります。違うのは、新旧の時刻表を持ってゆくと良い点でしょうか。古い時刻表は往時を想像することができます。新しい時刻表はどうして?と思っていましたが、旧線の向こう側(新線)を現代の列車が通ったりするのですね。「廃線の写真を撮り終えて帰りかけたら・・・残念!」ということを経験し、はじめて実感しました。初心者には「恐るべし」鉄道の世界です。

失われた鉄路をたどる8 線路敷の痕跡をたどる
長野電鉄木島線 終点の木島駅近く
失われた鉄路をたどる8 線路敷の痕跡をたどる
上田丸子電鉄西丸子線 旧馬場停留所(駅)付近の直線道路(旧線路敷)
[ 2016-07-21 ]

失われた鉄路をたどる7 職掌は唯クロカネの道作に候

イベント

 「夢をのせた信州の鉄道」展、開催となりました。初日は雨降り、日曜は選挙で歴史館へは脚が向かないかと思いましたが、まずまずの滑り出しでした。先日、鉄道展の成功祈願?のため、日本における鉄道の生みの親、井上勝(まさる)子爵のお墓を訪ねてきました。幕末に長州藩からイギリスに渡って鉄道技術を学び、明治時代の鉄道網敷設に邁進した人です。「職掌は唯クロカネの道作に候」という名言を残しています。碓氷峠の開通にも尽力されました。 
 お墓は東京都品川区の東海寺大山墓所にあるのですが、お墓の西数mを東海道新幹線が掠め、その隣に山手線。東側に目を転ずると東海道本線・京浜東北線が通っています。何とも、「鉄道の父」に相応しすぎる場所です(本人の希望という話も)。
 東海寺はかの有名な沢庵和尚が開祖。江戸幕府と深い関係があり、広大な敷地を有していました。ところが、明治時代になると、その敷地のほぼ真ん中に日本初の鉄道(新橋−横浜間)を通すことになったのです。お寺側の意向はともかく、前回取り上げた「鉄道はできるだけ直線、勾配は少なく」という大原則を貫いたのです。品川駅からは、八ツ山・御殿山、そして東海寺を「切通し」たのです。そして、品川駅から新橋側は用地取得上の問題から、海辺に「築堤」で通しました。このように、日本初の鉄道敷設から「切通し」と「築堤」は、定番だったことがわかります。
 両隣とも現役バリバリの路線で「失われた鉄路」シリーズらしくなく、お墓の写真も野暮なので、東京の廃線=復元された旧汐留駅(新橋停車場)を載せておきます。

失われた鉄路をたどる7 職掌は唯クロカネの道作に候
旧東海寺境内を貫く切通し、この左側数mに井上勝墓所
失われた鉄路をたどる7 職掌は唯クロカネの道作に候
発掘調査後、復元された新橋ステーション。屋外で鉄道遺構がのぞける。後方は展示施設
[ 2016-07-14 ]

近世常設展の一部展示替え 諏訪社・街道のコーナー

お知らせ

【お知らせ】
 次の2つのコーナー(小テーマ)で一部展示替えをしました。そのコーナーと新展示資料は次のとおりです。

(1)小テーマ「信濃一之宮と御柱祭」
★『信州一ノ宮諏方大明神御社内之図』(しんしゅういちのみや すわだいみょうじん おんしゃないのず) 江戸時代 当館蔵
 図の右側は上社本宮(諏訪市)で、四本の御柱が建っています。左側は、明治時代になって取り壊された神宮寺(じんぐうじ)で、普賢堂(ふげんどう)や五重の塔があります。神宮寺は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって取り壊されました。

★『諏訪大社御柱祭騎馬行列古図之写』(すわたいしゃおんばしらさい きばぎょうれつ こずのうつし) 江戸時代 当館蔵
 騎馬行列は、神官・高島藩・高遠藩らが御柱を出迎え、社へ警護・先導するための行列です。参勤交替のような大行列で、多くの見物人でにぎわいました。

★『諏訪御柱行例細見』(すわおんばしらぎょうれつ さいけん) 江戸時代 当館蔵
 大祝(おおほうり)や藩の家老らを乗せた騎馬などの大行列の図です。最下段は高遠藩の騎馬行列ですが、かつて高遠地域が諏訪地域・諏訪神社と密接な関係があったことを物語っています。

(2)小テーマ「街道の風景」
★『信州松本通見取絵図控』(しんしゅうまつもとどおり みとりえずひかえ)より『川中島周辺』 文化3年(1806) 逓信総合博物館ていぱーく蔵 複製
 自動車や鉄道が発達した現代社会において道は重要なものですが、江戸時代の幕府においても街道の維持管理は重要な課題でした。道中奉行所は寛政12年(1800)から主要街道の測量図や見取絵図を作って管理します。北国街道の追分宿から善光寺宿、および北国西街道の篠ノ井宿から洗馬宿までは『信州松本通見取絵図』が作成されました。当時の宿場の家並みだけでなく、周囲の山川や寺社等も描かれ、街道の様子を具体的に読み取ることができます。
 今回は、『川中島周辺』の展示です。この絵図では、北国街道沿いに集落が点在し、上部に千曲川、下部に犀川が流れています。北原村は、南の矢代宿と北の丹波嶋宿との間(あい)の宿(しゅく)です。『善光寺道名所図会』によると、北原村には大仏が安置された阿弥陀堂があり、接待所(旅人の休憩所)になっていました。道向かいにある旅籠茶屋松屋の主人は、川中島古戦場の旧跡を調べて木版印刷して旅人に販売、茶屋裏の池では大鯉をたくさん飼っていたという記述もあります。また、千曲川の右岸には松代城下町が描かれ、鳥打峠の麓に山本勘助塚が見えます。

 なお、7月中旬には真田氏コーナー「真田氏 戦国乱世をかけめぐる」の一部展示替えをします。新たに展示する資料は次のものです。
★『大坂冬陣之図』 江戸時代 当館蔵
 大坂城と城を取り囲む徳川軍勢の名前、堀や水路、周囲の山々が描かれています。大坂城には「右大将秀頼公」の名が大きく記されています、城の外側には真田信繁が築き戦った陣地「真田丸」が「出丸」と記され、「真田左衛門」の名も見えます。戦の動きを詳細に記した書物『大坂冬御陣覚書』と併せてご覧ください。

 資料は語っています。資料と出会い、ご解読ください。資料により1〜3か月で展示替えとなりますので、早めにご覧ください。

近世常設展の一部展示替え 諏訪社・街道のコーナー
信州一之宮諏方大明神御社内之図(江戸時代 当館蔵)
近世常設展の一部展示替え 諏訪社・街道のコーナー
諏訪大社御柱祭騎馬行列古図之写(江戸時代 当館蔵)
[ 2016-07-09 ]

失われた鉄路をたどる6 地味だけど大規模な痕跡を残すもの

イベント

 地形も地質もおかまいなく「人が作ったんだぞ〜」と主張するのが、大きな直線の構造物です。発掘された古代東山道(確実なのは県外の遺跡)などを見ると、古代国家は山だろうと谷だろうと関係なく、幅12mの直線道路を造っていたことがわかります(ちなみに、現代のセンターラインがある2車線道路の幅が6〜7m程度)。自然を克服する技術力や財力だけでなく、複雑に絡み合う地元民の権利関係を飛び越えて「直線にする力」を誇示していました。
 鉄道は、敷設する側と住民側の力関係もあるでしょうが、それ以上に、鉄道の根本的な性質上、できるだけ直線、できるだけ勾配を少なくする必要があります。線路が曲がっていたり急勾配だと、脱線しやすく止まりづらい、あるいは登れないからです。スピードが出せず燃費も悪くなります。旧信越線碓氷峠のようにアプト式ラックレールにしたり、補助機関車が必要になったりと、経費も手間もかかります。さらに、線路や路盤にも負担がかかり保線が大変になります。良いことはありません。
 そこで、高い所は削って切通し・堀割にし、低い所は土を盛って、築堤・盛土をします。こうすることで、山や丘陵を迂回せず真っ直ぐに、勾配も少なくすることができます。
 大がかりな切通しや築堤の痕跡は、廃線になった後でも地形図にしっかり残ります。今なら、ネットに提供されている航空写真などで確認することができ、廃線跡を探す目安になります。現地へ行っても見応えのある場所もあります。

※「夢をのせた信州の鉄道」展、7月9日(土)いよいよはじまります!

失われた鉄路をたどる6 地味だけど大規模な痕跡を残すもの
旧篠ノ井線の築堤跡 (筑北村)
失われた鉄路をたどる6 地味だけど大規模な痕跡を残すもの
旧上田丸子電鉄丸子線 丸子町駅近くの切通し
[ 2016-07-06 ]

失われた鉄路をたどる5 男子?の心をくすぐる大型鋼鉄製構造物

イベント

 ブリキの玩具が影を潜めた昭和40年代、世間では現役の蒸気機関車が絶滅寸前になっていました。鋼鉄製に魅力を感じる男子には残念な時代です。
 上松町赤沢の森林鉄道資料館に行くと、1960年(昭和35)に引退した木曽森林鉄道の主力蒸気機関車ボールドウィンと対面できます。D51のような「これぞ鋼鉄製」と言わんばかりのゴツゴツ感はなく、軽便鉄道のレール幅762ミリに合わせ小ぶりで、形もオシャレです。男女問わず、多くの鉄道ファンが魅せられるのも納得できます。
 ともあれ、このシリーズは「失われた鉄路をたどる」シリーズですので、機関車のような“モノ”ではなく、鋼鉄製の“遺構”を探し歩いてみましょう。レールではありません。もっとワクワクする大きさの構造物・・・そう鉄橋です。
 信州の深い谷あいに鉄路敷くため橋は必需品でした。しかし、廃線鉄橋の多くは外されて売却されてしまいます。そのため、橋台や橋脚しか残っていない場合が大半です。そんな中で、多数の鉄橋を見られるのが木曽森林鉄道です。
 ボールドウィンが木材を満載した貨車を引きながら渡る写真(夏展にも展示します)、で有名な鬼淵鉄橋は、中央線の上松駅から歩いて10分ほどの場所にあります。今では、隣接する道路用の鉄橋が一回り大きいため目立ちませんが、保存運動の甲斐もあり、1915年(大正4)竣工の勇姿はいまだ健在です。
 大桑村野尻から阿寺渓谷を上ってゆくと、山あいの景観に溶け込むような小さな鉄橋が目に入ってきます。歩道橋程度の幅しかない、いかにも「林鉄」らしいサイズです。
 「林鉄」には、道路に転用されているものも含め、他にも鉄橋が残っています。鋼鉄製大型構造物に惹かれる男子だけでなく、鉄道女子も木曽森林鉄道を訪ねてはいかがでしょうか。避暑にもよい季節です。
 ※当館の「夢をのせた信州の鉄道」展は、7月9日(土)〜8月28日(日)

失われた鉄路をたどる5 男子?の心をくすぐる大型鋼鉄製構造物
上松町 王滝森林鉄道 鬼淵鉄橋
失われた鉄路をたどる5 男子?の心をくすぐる大型鋼鉄製構造物
大桑村 阿寺森林鉄道 大石の橋
[ 2016-06-28 ]

琉球切手 6月23日は沖縄「慰霊の日」

イベント

 太平洋戦争末期の沖縄戦は、一般住民を巻き込んだ地上戦で、10万人ちかい沖縄県民が戦死しました。1945年6月23日は、第32軍司令官牛島満中将が自決し日本軍の組織的な戦闘が終結した日です。そのため沖縄県は、戦没者の追悼と恒久平和を願って6月23日を「慰霊の日」と定めています。
歴史館は、昨年「戦後70年企画 長野県民の1945」の特別展を実施しました。その展示を契機に、アジア・太平洋戦争に関連した資料が、寄贈されました。
 その中に、沖縄切手あるいは琉球切手と呼ばれる、1972年5月14日の本土復帰までのアメリカ統治下の沖縄で発行された切手があります。90枚ほどが寄贈され、現在整理中ですが、その中の一枚を紹介します。
「オリンピック東京大会沖縄聖火リレー記念」の「3¢(セント)」の切手で、守礼門に五輪マークと聖火が描かれています。「円」ではなく「¢」が米国統治下であることを物語っています。1964年8月21日にギリシャのオリンピアで採火された聖火は、予定より遅れて9月7日に沖縄に到着しました。盛大な歓迎式典が行われ、リレーの沿道では日の丸が振られ、その光景はまるで日本に復帰したようであったといわれます。

琉球切手 6月23日は沖縄「慰霊の日」
[ 2016-06-22 ]

失われた鉄路をたどる4 もりあがる上田城本丸を横目に

イベント

 大河ドラマ「真田丸」の影響で、上田城跡公園は連日観光客で溢れかえっています。こんな時に外堀の中だけを通り、本丸には目もくれずに二の丸仮設駐車場を抜け、矢出沢川の橋台跡へ向かう・・・なんてひねくれ者はいないでしょう。
 ここはかつて、上田電鉄真田傍陽(そえひ)線の線路敷でした。堀の中に架線の土台が残っていたり、公園前駅のプラットホームを見ることができます。実は、上田城跡は上田の近・現代史を語る上で重要な痕跡がたくさん残っている場所でもあります。
 ところで、この路線は真田氏本城跡がある旧真田町へ延びるため、各地で真田ファンと遭遇します。「なんで、そんなところを見ているの?」「ディープなマニアしか知らない真田氏の痕跡が隠されているの?」といった訝し気な視線・・・。でも、その先には古びたコンクリート構造物や近・現代の石積みしかありません。
 真田駅はバスターミナル横の駐車場下にプラットホームの基礎を見ることができます。少し上田方面に戻り、国道144号線から上田市立第5中学校方面に向かうと、5中の手前で樋ケ沢駅の古びたプラットホームと線路敷が道路から見ることができます。
 気にして探してみると、プラットホーム跡も意外に残っているものです。上田電鉄関係では、西丸子線の下之郷駅をはじめ、複数個所で痕跡をとどめています。また、布引電鉄の布引駅、善光寺白馬電鉄の茂菅駅ほか、あるいは池田電鉄の複数ヶ所で駅やその痕跡が確認できます。
 ただし、前回もお話ししましたが、立て看板がなくても私有地は立入禁止です。公道から見学することができたとしても、プラットホームが個人宅や物置の基礎になっている場合がありますので、くれぐれも節度をわきまえてください。
 ※夏季企画展「夢をのせた信州の鉄道ー失われた鉄路の軌跡ー」(7/9〜8/28)開催まで、いよいよ一ヶ月を切りました。ご期待ください。

失われた鉄路をたどる4 もりあがる上田城本丸を横目に
今年は、人がいない時間を狙って撮影するのが大変な公園前
失われた鉄路をたどる4 もりあがる上田城本丸を横目に
別所線下之郷駅の脇に西丸子線のホームと駅舎が残る
[ 2016-06-15 ]

歴史館ふるさと講座in千曲 「謎ばかりの真田氏〜居城と城を中心に〜」を開催

講座・セミナー

 6月4日、晴天の土曜日の午後、千曲市の戸倉創造館で第1回「歴史館ふるさと講座in千曲市」が開催されました。多くの県民の皆様に、長野県における最新の歴史研究の成果をお伝えするため、新たに設けられた講座です。千曲市教育委員会の共催をいただき、施設準備や広報等お世話になっております。
 今回は笹本正治当館館長が講演をしました。188名の皆さんが熱心に聴講されました。真田氏のルーツや、支配を行う根拠、真田の居館・城についての指摘がありました。
 次回は当館の村石正行専門主事が「川中島合戦と真田幸綱」と題しての講演をします。
 場所は1回目と同じ千曲市戸倉創造館で、6月10日(金)の19時から20時30分までです。

歴史館ふるさと講座in千曲 「謎ばかりの真田氏〜居城と城を中心に〜」を開催
講演する当館笹本館長
歴史館ふるさと講座in千曲 「謎ばかりの真田氏〜居城と城を中心に〜」を開催
188名のみなさんが聴講されました。
[ 2016-06-08 ]

失われた鉄路をたどる3  トンネルを覗いてみる

イベント

 橋台・橋脚は意外と残っていて、見つかると嬉しいものです。しかし、もっと確実に残っているのがトンネル(隧道)です。一度掘り抜いてしまえば、大崩落でもない限り痕跡を消すことが難しいからです。ただし、使われていない廃トンネルは危険ですので絶対に入らないでください。また、他の廃線施設もそうですが、個人や団体の所有地・管理地になっているので、勝手に敷地に立ち入らないようお願いします。ということで、ご紹介するのは、現在も生活道路に利用されている旧信越線の旧戸草トンネル(信濃町)、遊歩道になっている旧信越線の横川−熊ノ平間のトンネル群です。このシリーズ初回に写真を掲載した旧篠ノ井線も、明科(安曇野市)側は遊歩道として散策が可能です。
 1888(明治21)年、県内で一番早く、直江津-長野間に官設の鉄路が敷かれました。難工事が予想された碓氷峠への資材運搬線の目的も担っていました。1887(明治20)年に完成した旧戸草トンネルは、現在、しなの鉄道北しなの線「古間駅」の南、歩いていける地点にあります。車1台が通れる程度の小ぢんまりとした大きさ、古びた切石と煉瓦でできたトンネルは、鉄道での現役生活を終え、第2の人生を生活道路として地元の人たちとのんびり過ごしている、といった感じです。
 碓氷峠のトンネル群は、安中市の10ヶ所が遊歩道になっており、違いを比べながら歩く楽しみがあります。有名なめがね橋(第3橋梁)から峠側は、「お金はないけど、とにかく一日も早く仕上げろ!」といった強い指示が聞こえてきそうです(あくまで私の感想です)。難工事を担う現場担当者や職人を苦しめた雰囲気が伝わって来ます。例えば、開口部の造りが横川駅に近いトンネルに比べて簡素だったり、排土と掘削の時間をかせぐためトンネル中央付近に横坑を掘っていたり、1つのトンネルだったのを中央の尾根を削って短い2つのトンネルにしたり・・・と、工事終盤は大変な騒ぎだったようです。

失われた鉄路をたどる3  トンネルを覗いてみる
旧戸草トンネル(信濃町)
失われた鉄路をたどる3  トンネルを覗いてみる
旧碓氷第7トンネル(安中市)
[ 2016-06-07 ]

金属メス vs 黒曜石ナイフ

お知らせ

 近年、シカ・イノシシなどよる農作物被害や、またクマによる人身被害が大きな問題になっています。長野県環境保全研究所では、その対策としてシカ・クマなどの生態調査、保護管理計画にともなうモニタリング調査を行っています。具体的には害獣駆除されたシカ・クマなどを解剖して、毛や脂肪などから何を食べていたか、DNA分析で出自を、歯にみられる縞から成長の具合などを調べるそうです。
 ところが脂肪の多い野生動物は金属のメスがすぐにだめになってしまうようです。そこで金属メスに代わる新たなメスの候補としてあがったのが、旧石器・縄文人が用いた黒曜石製のナイフでした。
 6月2日(木)午後、研究所の方が当館の中庭で解剖を試みました。その結果なんと黒曜石のナイフの方がはるかに使い勝手がよく、ふつう金属メスだと2~3本をだめにするクマの頭部の解体を黒曜石ナイフ1本で、いとも簡単に行うことができました。
 黒曜石の石器は金属器の出現によって衰退します。ただ、すべて金属が勝っていたようではなさそうです。脂肪の付着は黒曜石の方が少ないようで、長く切れ味を保ちました。  旧石器・縄文時代の黒曜石製ナイフは動物解体には最強の道具だったようです。
 クマは小谷村で捕獲されたものだそうです。当日、偶然にも白馬村の小学生がこの解体を見学しました。このクマの分析調査を進めてもらい、人間とクマが将来うまく棲み分けできるようになるといいですね。

金属メス vs 黒曜石ナイフ
黒曜石ナイフを使った解体の様子
[ 2016-06-04 ]

中学生の職場体験学習

イベント

 長野県立歴史館では、毎年10校前後の職場体験学習を受け入れています。

 平成28年度の職場体験学習の第1弾が、5月31日、6月1日の両日行われました。
 長野市内の中学生3名が来館し、当館各課の仕事を体験しました。
 体験を通して、「昔の貴重な資料(古文書)が見られてうれしかった。資料を保存するのも仕事の一つだとわかった」「土器、石器、人骨などを決まった場所に整理し、それを使えるようにしておくことの大切さを知った」「お客さんと接する仕事では、たくさんの人に声を掛け、挨拶やお礼をしていた」など、多くの気づきを得たようです。

 閲覧室の整理作業では、根気よく書籍を運んでいる姿が見られるなど、粘り強く丁寧に作業できる意欲的な3名でした。(写真は、古文書を検索している様子です。作業に先立ち、データベースを用いて資料が系統的に保存されていることを学びました。)
 2日間という限られた時間内での体験でしたが、今後の学校生活に少しでも役立つことがあればと思います。

*

 当館では、中学生、高校生、大学生を中心に、職場体験学習を随時受け入れています。
 1日の受け入れ人数(上限)を定め、原則として先着順でお受けしていますので、ご希望の際は早めにご相談ください。

中学生の職場体験学習
[ 2016-06-02 ]

失われた鉄路をたどる2 跡地利用しにくい場所を見る

イベント

 地面に残されたわずかな痕跡から歴史を復元するのが考古学ですが、“鉄道考古学”を掲げる人には、大きく3タイプあるようです。
 1つは、愛読書が『時刻表』、現役の鉄道は乗りつくしてしまい廃線を歩くようになった宮脇俊三さんタイプです。国鉄(現JR)の完乗記念に1978年『時刻表2万キロ』を刊行。約十年後には、廃線歩きの中で「鉄道考古学」を語っています(1989年『失われた鉄道を求めて』)。
 2つめは、土木や工学・機械系の研究者で、近代化産業遺産研究の一部として「鉄道考古学」を掲げている人々です。元祖「考古学」のお得意は発掘ですが、こちらは残存している橋やトンネル、あるいは機械モノの調査を主にしているようです。
 そして、3つめは、元々、縄文や弥生時代の遺跡を掘っていたのに、たまたま鉄道遺構を掘ることになったタイプです(最近は積極的に近代の遺跡に取り組む人も)。私が学生の頃、近世・近代は「後世の攪乱」だから「飛ばしてしまえ」(調査せずスコップで掘り飛ばす)と言われたものでした。しかし現在、日本で鉄道が開通してから140年以上経過していることを考えると、発掘調査の対象となるのも当然と言えば当然です。
 廃線を「考古学する」難しさは、廃線の時期が新しい点です。いわゆるスクラップ&ビルド時代のため、壊して効率よく跡地利用されてしまい、あまり痕跡を残さないからです。しかし、老眼が進もうとも考古学徒の目を見くびってはいけません。まずは、「後世の攪乱」を受けにくい場所に着目してみましょう。例えば縄文の遺跡でも、利用しやすい場所は後の時代に手を加えられてしまい、縄文時代の遺構は壊れています。だから、なるべく跡地利用のしづらそうな地点に目を向けてみます。廃線なら河川の斜面なんか・・・、と!!!、橋台が残っているではありませんか。後の護岸工事で新しいコンクリートが被さりながらも、しぶとく残っている例などは「邪険にされながら、よくぞ残っていてくれた」と感動モノです。

失われた鉄路をたどる2 跡地利用しにくい場所を見る
上田交通旧真田傍陽線には数ヶ所で橋台が残っています。(上田城の北で矢出沢川を渡る)
失われた鉄路をたどる2 跡地利用しにくい場所を見る
布引鉄道の煙突のような橋台と崩れ落ちた残骸(千曲川をわたり布引観音方面へ)
[ 2016-05-17 ]

バックヤード探検 〜学校見学の様子から〜

お知らせ

長野県立歴史館では、毎年、県内外から200校以上の学校見学を受け入れています。学校見学に来る子どもたちや先生方から好評なのが、通常では公開していない歴史館の裏側を見ることができる「バックヤード探検」です。
館内に展示されている展示物は、本館の収蔵物のほんの一部です。普段見ることが出来ない貴重な遺物を間近に見ることができ、子どもたちも目を輝かせて見入っています。書籍や写真からの情報ではなく、本物がもつ力強さを感じます。バックヤード探検は、対応できる人数・時間に限りがありますので、残念ながら希望に添えない場合もございます。希望される学校・団体は、早めに申込をお願いします。なお、8月に実施する「歴史館で夏休み」では、一般の皆様にもバックヤード探検をしていただけます。詳細は後日お知らせいたします。

バックヤード探検 〜学校見学の様子から〜
約3500年前の縄文人と対面
バックヤード探検 〜学校見学の様子から〜
縄文土器と弥生土器の違いを体感
[ 2016-05-13 ]

長野県内外から多くの学校見学を受け入れています。

お知らせ

当館の大切なお客様として、「小学生・中学生」の皆さんがいらっしゃいます。
春から秋にかけて、県内外の多くの学校見学を受け入れており、館内展示を見学していただいています。
本日も多くの学校見学のみなさんにお越しいただきました。
学校見学のお客様がいらっしゃると、歴史館に活気がみなぎってくるように感じます。児童・生徒の皆さんが、当館の展示を見たり、解説員の説明を聞いたりする中で、「わー」とか「へー」などという反応を示して見学してくださることが、我々歴史館の職員の大きな喜びとなっています。
今年度も、「学校見学」でご来館いただいた皆さまにご満足いただけるように、精一杯頑張りたいと思います。
そして、児童・生徒の皆さんが、次回は、お家の方と一緒に来たいなあと思っていただき、実際にお越し頂ければ幸いです。じっくり見て、体験していただける展示がたくさんあります。
「学校見学」に限らず、多くのお客様のご来館をお待ちしております。

長野県内外から多くの学校見学を受け入れています。
学校見学の様子1
長野県内外から多くの学校見学を受け入れています。
学校見学の様子2
[ 2016-05-11 ]

失われた鉄路をたどる1 “歴史”の仲間入りをした廃線

イベント

 夏期企画展「夢をのせた信州の鉄道-失われた鉄路の軌跡-」を前に、県内の廃線を歩いています。今や、廃線歩き(歩鉄)のガイドブックやネット情報は多々あり、市民権を得た観があります。旧碓氷線(信越線)や篠ノ井線の旧線跡では、遊歩道や案内板などが整備され、“鉄ちゃん”ではないハイキング客・観光客がたくさん訪れています。
 あたり前のことですが、特別な事情がない限り、鉄道会社の職員でもない我々が鉄路を“歩く”わけにはいきません。廃線でなくてはなりません。しかも、マニアでもない人々が訪れるということは、廃線に「・・・兵どもが夢の跡」といった歴史に裏打ちされた感傷や郷愁を感じてのことでしょう(単に歩きに来た人も?)。つい昨日のことだと思っていた事件(廃線決定日)が、“歴史”になりつつあるのでしょう。わが歴史館が目をつけるのもそのあたりです。
 廃線が“歴史”の仲間入りをはじめたのはいつ頃でしょうか。きっかけの一つは1983年堀淳一『消えた鉄道 レール跡の詩』の刊行でしょう。「風土と歴史をあるく」シリーズの1冊で、続刊を見ると『山の辺の道』『鎌倉街道』『熊野古道』といった蒼々たる「歴史の道」がラインナップされています。鉄道関係の専門書や雑誌ではなく、歴史書の1巻に入ったのです。県内では、2014年に再版された小林宇一郎・小西淳一監修『信州の鉄道物語(上)消え去った鉄道編』の初版が1987年です。
 近代日本の大動脈となった鉄道、その役割を道路・自動車に譲りつつ廃線が増加したのが1960年代以降とすると、「夏草や近代日本の夢の跡」として、廃線が歴史に加わったのが1980年代以降のようです。
 次回からは、失われた鉄路の現地をたどっていきたいと思います。

失われた鉄路をたどる1 “歴史”の仲間入りをした廃線
旧篠ノ井線漆久保トンネル(安曇野市)
失われた鉄路をたどる1 “歴史”の仲間入りをした廃線
トンネル説明板わきのスタンプ
[ 2016-05-08 ]

「歴史館でこどもの日」を開催しました。

イベント

ゴールデンウィーク中の5月4日(水)、5日(木)の2日間、特別企画「歴史館でこどもの日」を開催しました。
2日間の期間中、大勢の親子連れの皆さんが歴史館を訪れ、体験を通し、楽しく歴史を学ぶことができたようです。「石のアクセサリーづくり」に参加された方は、ていねいに石をけずり、世界でひとつだけのオリジナルのアクセサリーを仕上げていました。「縄文人になって遊ぼう」のコーナーでは、当時の服装で、縄文人になりきっているほほえましいご家族がいらっしゃいました。また、長野県埋蔵文化財センターの方にご協力いただいた「土器洗いにチャレンジ」のコーナーでは、実際に県内の遺跡から出土した土器にふれる貴重な体験ができました。
こういったイベントを通して、さらに、歴史に関心をもっていただければと考えております。夏休みにも同様の企画を計画しておりますので、ご期待下さい。

「歴史館でこどもの日」を開催しました。
縄文人になって遊ぼう
「歴史館でこどもの日」を開催しました。
土器洗いにチャレンジ
[ 2016-05-07 ]

ゴールデンウィークは長野県立歴史館へ! 歴史館でこどもの日 5月4日、5日

イベント

ゴールデンウィークの予定はお決まりでしょうか?長野県立歴史館では、GW特別企画「歴史館でこどもの日」を今年度も開催いたします。期日は、5月4日(水)、5日(木)の2日間です。実施するイベントは次の通りです。
○石のアクセサリーづくり(石をけずって世界で一つだけのアクセサリーをつくります)
○バックヤード探検〈拡大版〉(普段は入ることのできない博物館の裏側に招待します)
○縄文人になって遊ぼう!(本物の土器をもったり、縄文人の服を着てみたりします)
○土器洗いにチャレンジ!(遺跡から出てきた本物の土器を洗います。気分は考古学者!?)
開催日時・費用等は、下の「歴史館でこどもの日」チラシをクリックしてご確認下さい。
イベント以外にも、歴史館では、当時の人々の暮らしをイメージしながら長野県の歴史を楽しく学べる常設展示、長野県の最新の出土品がご覧いただける「平成28年度巡回展 長野県の遺跡発掘2016」もお楽しみいただけます。ゴールデンウィークはぜひ長野県立歴史館へお越し下さい。皆様のご来館をお待ちしております。

ホームページ改修のため、しばらく歴史館ブログの更新が止まっており、大変ご迷惑おかけいたしました。今後は適宜、長野県立歴史館の様子を紹介していきますので、ホームページ、フェイスブックとともにご覧ください。

ゴールデンウィークは長野県立歴史館へ! 歴史館でこどもの日 5月4日、5日
昨年の「歴史館でこどもの日」の様子
[ 2016-04-27 ]

解説ボランティアによる常設展「日曜解説」開催中!

お知らせ

3月までの毎週日曜日、当館解説ボランティアによる常設展の展示解説を行っています。およそ50分のコースで、常設展を一緒に回りながら4万年の信濃の歴史を「楽しく」「わかりやすく」ご案内します。時間は、午前10時〜、11時〜、午後1時30分〜、2時30分〜の4回です。
事前の申込みは必要ありません。ご家族でもお一人様でも受け付けています。解説料金は無料ですが、大人の方は観覧料が必要です。高校生以下のお子様は観覧料が「無料」です。
ぜひご家族やお友達と気軽に歴史館に遊びにきませんか?「歴史との対話」「ボランティアとの対話」を楽しみながら、新しい発見に心躍るかもしれません。
下の写真は、解説ボランティアさんと一緒に展示を見学したご家族の様子です。ご案内した子どもたちは、近世農家内のネズミやヘビ、馬と人間との関わりに驚いていたようです。様々な展示資料の説明を受けながら、興味をもってご見学されていました。皆さんのご来館をお待ちしています!

解説ボランティアによる常設展「日曜解説」開催中!
解説ボランティアさんと一緒に常設展を楽しく見学中!
[ 2016-01-30 ]
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