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2016年の投稿

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木曽の宝9−企画展が無事に閉幕−

イベント

11月27日(日)、秋季企画展「木曽の宝」は、無事に閉幕しました。
期間中、多くのお客様にご観覧・ご参加いただきました。

○展示をたっぷり観覧し、木曽の魅力に触れ、「次の週末に木曽に行ってみます」と、東北信にお住まいの方(木曽にはほとんど行ったことがないとのこと)。
○県外からお出でいただき、「長野県にはすばらしい場所がたくさんありますね」と言われていた方。
○「ホンモノの仏像や刀がすごかったよ」との感想を口にしてくれた小学生。
○「木曽馬はかわいいね。保存活動、是非がんばってください」と熱のこもった言葉を伝えていた方。
○「伝統文化を残そうと努力されている木曽の方から学びたい」と、保存会の皆様に積極的に質問していた方。
○「大昔は私の住んでいるところが文化の中心、日本の中心だったんだよ」と豪快に笑われていた方。
○「数十年前、この遺跡発掘のときにね、私は高校生でね、一緒に掘らせてもらったんだよ。懐かしいなあ」と柳又遺跡の石器を見ながら話されていた方。
○「ふるさとのよさを再発見しました。ありがとう」と、感激の声を寄せてくださった方。

木曽からお借りした100余点の「宝」は、12月上旬、元の場所に戻りましたが、今でもたくさんの方々の声や姿が脳裏によみがえってきます。

秋季企画展「木曽の宝」に際しまして、ご観覧・ご参加いただいたすべての方に感謝申し上げます。
ありがとうございました。

木曽の宝9−企画展が無事に閉幕−
木曽からお出でいただいたお客様が展示室に入るところ
木曽の宝9−企画展が無事に閉幕−
木曽の将来を担う子どもたちも多数来館(写真は加工してあります)
[ 2016-12-14 ]

木曽の宝8−またまた木曽馬がやってきた!−

イベント

11月12日(土)13日(日)両日は、秋季企画展「木曽の宝」関連イベントとして、「木曽馬と遊ぼう」を行いました。
今回来てくれたのは、15歳のめす馬・空(そら)号です。
人間で言うとおばあちゃんになりかけの歳だそうですが、それでもまだまだ働きざかりとのことで、元気いっぱいです。

13日には、スペシャルイベントとして、50kgを超す木材を運ぶ馬搬(ばはん)という作業の実演を披露してくれました。
農耕馬として人々とともに生活してきた木曽馬をイメージすることができました。
さらに、引き馬体験ということで、多くのお客様が木曽馬に乗りました。鞍の上に座り、突き上げるような独特の振動を感じながら進み、貴重な体験となったようです。

12日の講座では、木曽馬保存会・中川氏より、木曽馬の歴史と現状についてお話を伺いました。
現在では、全国に150頭弱しかいない木曽馬。その保存活動を担っている方々の「熱意に感動した」という感想が印象的でした。

木曽馬についてじっくり触れ、考えることができた2日間でした。

木曽の宝8−またまた木曽馬がやってきた!−
ホンモノの木曽馬(空号)と当館展示(製作)の木曽馬との貴重なツーショット
木曽の宝8−またまた木曽馬がやってきた!−
引き馬体験の光景
[ 2016-11-24 ]

木曽の宝7−開田高原の伝統芸能に親しむ−

イベント

11月3日(木・祝)には、科野の歴史公園で「森将軍塚まつり」という大きなイベントが行われました。
野外ステージでは20を超す団体による発表がありましたが、その中で、長野県立歴史館の秋季企画展「木曽の宝」に関連して、木曽の文化に触れる機会を設けました。
開田高原の民謡保存会「ゆるり会」、開田小学校6・2年生、地域協議会のみなさまによる発表もありました。
「開田嫁入り唄(こちゃ節)」「開田高原姫獅子舞」を披露していただきました。

開田嫁入り唄…娘を嫁がせる父親の切ない気持ちを唄っています。現在でも婚礼や酒の宴で唄われることがあります。もともとは単にこちゃ節と言っていましたが、後の世に開田嫁入り唄と新たに名付けられました。

開田高原姫獅子舞…開田高原把之沢(たばのさわ)地区で、かつて祝い事の際に舞われていたのが姫獅子舞です。江戸時代の物語を唄と舞いにしたものといわれています。

唄は、大人から子どもまで、元気よく、それでいて切ない気持ちを感じる声でした。
獅子舞は、笛太鼓、舞い、唄が実にすばらしく、最後の口上も迫力満点でした。
開田高原に伝わる伝統芸能を見ることができ、観客の方々から「大感激」との声が聞かれました。
なお、長野県立歴史館の常設展示室入口では、現在、その映像をご覧いただくことができます。

木曽の宝7−開田高原の伝統芸能に親しむ−
「開田高原姫獅子舞」発表
木曽の宝7−開田高原の伝統芸能に親しむ−
「嫁入り唄」の発表(写真は加工してあります)
[ 2016-11-23 ]

木曽の宝6−大桑村の伝統芸能に親しむ−

イベント

11月3日(木・祝)に、科野の歴史公園では「森将軍塚まつり」という大きなイベントが行われました。
野外ステージでは20を超す団体による発表がありましたが、その中で、長野県立歴史館の秋季企画展「木曽の宝」に関連して、木曽の文化に触れる機会を設けました。
大桑村の須原ばねそ保存会と大桑小学校6年生のみなさんには、「須原ばねそ」「木曽踊り」を披露していただきました。

須原ばねそ…須原ばねそは、大桑村須原地区で古くから唄われる民謡・盆踊りです。ばねそとは、はね踊る衆という意味で、楽器を用いない3種類の地唄を総称して須原ばねそと呼びます。600余年前に京都の文化が人の往来とともに木曽に入り、庶民文化として定着しました。

木曽踊り・木曽節…木曽節は木曽で生まれた日本を代表する民謡の一つです。現在の盆踊りのスタイルは、大正から昭和にかけて整理・普及されたものです。

お揃いのはっぴを着て、息の合った踊りを見せてくれました。
大桑村に伝わる伝統芸能を見ることができ、観客の方々から「大満足」との声が聞かれました。
なお、長野県立歴史館の常設展示室入口では、現在、その映像をご覧いただくことができます。

木曽の宝6−大桑村の伝統芸能に親しむ−
「須原ばねそ」の発表
木曽の宝6−大桑村の伝統芸能に親しむ−
当日は大勢のお客様がいらっしゃり、晴天のもと、イベントを楽しみました
[ 2016-11-22 ]

木曽の宝5−イベント満載の企画展です!−

イベント

秋季企画展「木曽の宝」では、木曽の文化に触れる関連イベントを行っています。
10月10日(月・祝)には、「南木曽町田立の伝統芸能に親しむ」として、花馬祭り、歌舞伎の紹介を行いました。
伝統文化が現在まで続くにあたっては、地域の皆様の熱い思いが大きな支えになっていることを知りました。
途中には、子どもたちと保存会の方々がお囃子の実演をしてくれました。
(写真1=お囃子の実演)
イベント終了後には、花馬の背にある「花」や木曽檜箸のプレゼントもありました。
(写真2=「花」のプレゼント)
木曽に伝わる文化に触れることができる、貴重な場となりました。

10月15日(土)は、「《トークセッション》ここまでわかった木曽の古代」として、考古学と文献学の2つの立場による調査結果や知見を紹介しました。
「横断的な内容で、大変おもしろく拝聴しました。このような幅広い視点の学説がこれからも聞きたいです!」「原、福島両先生の連携がすばらしいトークでした」「トークセッション方式は新鮮でおもしろく、楽しく聞けた。またしてほしい!」など、内容に満足とのご意見を多数頂戴しました。
終了後には、充実した内容のギャラリートーク(展示解説)も行いました。

10月22日(土)は、笹本正治当館館長による「木曽の宝」と題した講演会を行いました。
「木曽の魅力を堪能できた」「実際に木曽に行ってみたい」などの声が寄せられ、木曽をより深く知っていただけたと思います。

   *

「木曽の宝」関連イベントは、まだまだ続きます。

11月3日(木・祝)には、大桑村、木曽町開田高原に伝わる唄や踊りを、現地の子どもたちや保存会の皆様が発表してくれます。
南木曽町を中心とする木曽の物産展も行います。
周辺一帯では、森将軍塚まつりとして各種イベントが盛大に行われますので、是非お出でください。

11月12日(土)、13日(日)には、県天然記念物に指定されている木曽馬が再び登場します。
近くで見たり、写真を撮ったり、引き馬体験(簡単な乗馬)もできます。
木曽馬は日本で昔から飼育されてきた馬の一種です。全国でも百数十頭しかいません。
そのような木曽馬に触れる貴重な機会です。
木曽馬の歴史についての講座(12日)も行いますので、皆様のご来館をお待ちしております。

イベント満載の「木曽の宝」展の開催も、折り返し点を過ぎました。
展示替えを行い、10月25日からは後期の展示となっています。

木曽の宝5−イベント満載の企画展です!−
写真1
木曽の宝5−イベント満載の企画展です!−
写真2
[ 2016-11-01 ]

木曽の宝4−木曽馬が歴史館に登場−

イベント

平成28年度秋季企画展「文化の十字路 木曽の宝」開催中です。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。

この企画展では、木曽の文化に触れるイベントを多数予定しています。
9月24日(土)には、県天然記念物に指定されている木曽馬が登場しました。

開田高原(木曽町)から歴史館に来てくれたのは、平成10年生まれの牝馬(メス)、菜々ちゃんです。
木曽馬は、日本在来馬としての特色をよく備え、温順で人なつっこい性格と言われます。
菜々ちゃんも、やさしい目をした大変に落ち着いた馬でした。
声を掛けると顔を見てくれたり、「足の裏はどうなっているの」と言うと足を上げてくれたりと、賢い馬でもありました。

木曽馬は、11月12日(土)13日(日)にも登場します。
また、企画展示室でも、第4章として、木曽馬を取り上げています。
あわせて是非ご覧ください。

木曽の宝4−木曽馬が歴史館に登場−
菜々ちゃんのアップ
木曽の宝4−木曽馬が歴史館に登場−
木曽馬に乗る少女
[ 2016-09-30 ]

木曽の宝3−開幕のご案内−

イベント

平成28年度秋季企画展「木曽の宝」が開幕しました。
皆様のご来館を心よりお待ちしております。

ここで、「木曽」について、改めてご説明します。
木曽郡は、長野県の西端に位置します。
(写真1=企画展示室廊下のパネルの一部)
現在の長野県を4つ(北信、東信、中信、南信)に分ける区分では、中信に所属します。
昭和30年代の「昭和の合併」以降は11町村(楢川村、木祖村、日義村、木曽福島町、開田村、三岳村、王滝村、上松町、大桑村、南木曽町、山口村)の木曽郡(旧西筑摩郡)でしたが、「平成の合併」で6町村となりました。
(※楢川村は塩尻市、山口村は岐阜県中津川市へ。日義村、木曽福島町、開田村、三岳村は合併して木曽町へ。)

今回の企画展では、北は旧楢川村から南は旧山口村まで、計8つの市町村すべてから展示資料を出品いただいています。
各地に伝わる貴重な資料の数々が集まりましたので、通常の企画展示室に加えて、第2展示室、廊下のポスター展示、さらには常設展示室にも「木曽の宝」展示資料・関連展示があります。
(写真2=廊下には8市町村によるポスター展示)
また、7〜8月の夏季企画展「夢をのせた信州の鉄道」でご好評をいただいた「木曽森林鉄道レトロムービー」映像も、リニューアル版をご覧いただけます。

木曽在住や出身の皆様には、郷土のすばらしさを再発見いただける企画展になればと願っています。
また、普段は木曽に馴染みのない皆様にも、歴史の香り豊かな木曽地域の文化財に触れていただき、長野県のもつ魅力やすごさを感じていただければと思います。
この秋、是非、長野県立歴史館にご来館ください。

木曽の宝3−開幕のご案内−
写真1
木曽の宝3−開幕のご案内−
写真2
[ 2016-09-28 ]

木曽の宝2−山の恵み・山菜−

イベント

「山菜の王様」というと、何を思い浮かべるでしょう。
タラの芽、コシアブラ、ワラビ、……

6月下旬、当館笹本館長が大桑村で講演会を行いました。
休憩時、館長が山菜の話題を出したところ、地元の方々が大桑村の山菜について詳しく教えてくださいました。
その話の中で出てきたのが「シオデ」。
なかなか手に入らないものなので、人によっては「山菜の王様」と呼ぶようです。
とは言うものの、さすがは地元の方々。即座に「あの山の斜面に生えているよ」などと口にされ、あっという間に何本も取ってきてくださいました。

私(企画展担当者)もお相伴にあずかり、数本頂戴したため、帰宅後さっそく調理してみました。
と言っても、軽くゆでただけで、調味料を使わずにそのままいただきました。
「山のアスパラ」とも称される理由がよくわかり、大変おいしかったです。
普段いただくことのできない貴重な味・食感に感激しました。

木曽は豊かな森林に囲まれ、その森林資源が人々の暮らしを豊かに潤してきました。
山菜は山の恵みそのものです。ここにも「木曽の宝」を見ることができます。

秋季企画展「木曽の宝」では、森林資源により生み出された優れた工芸品などを展示します。

*

先頃、秋季企画展「木曽の宝」のチラシやポスター類ができあがりました。開幕まで2週間あまりです。
チラシやポスターは当館及び公共機関などで掲示・配布中です。ホームページ上でも一部ご覧いただけます。

木曽の宝2−山の恵み・山菜−
木曽の宝2−山の恵み・山菜−
[ 2016-09-07 ]

木曽の宝1−食の文化財の宝庫・木曽−

イベント

木曽郡全域のほか、松本市奈川、伊那市西箕輪などでつくられるこの食べ物、ご存知でしょうか。
(写真)
正解は、朴葉巻[ほおばまき]です。

朴葉巻は、あんこを餅で包み、それを葉っぱに包んだ食べ物です。
ホオの木はモクレン科の落葉高木で、長野県では標高1,000m前後の山地帯に自生しています。
ホオの葉には殺菌力があるとされるので、朴葉巻は保存食の一種ともいえます。

長野県は、文化財保護法に掲げられていない食物を対象に、昭和58(1983)年7月、「食(味)の文化財」を指定しました。
最初の指定は、手打ち蕎麦(蕎麦切り)、焼き餅(お焼き)、御幣餅[ごへいもち]、すんき漬、野沢菜の5品目でした。
朴葉巻は、その十数年後、平成13(2001)年3月に長野県選択無形文化財に指定されます。

長野県の西端に位置する木曽地域は、食文化の豊かな地域です。
前述5品目のうち、すんき漬は木曽特有の食べ物ですし、蕎麦切り、御幣餅なども木曽と関係があります。
平成12(2000)年3月には、王滝村の万年鮨が長野県選択無形文化財に指定されるなど、まさに、食の文化財の宝庫ともいえます。

長野県立歴史館では、9月17日(土)より、秋季企画展「木曽の宝」を開催します。
木曽の貴重な文化財等を一堂に集め、ご紹介します。
普段はなじみのない皆様を含めて、多くの方に、木曽の文化に触れていただければと思います。
どうぞお楽しみに。

*

今後、「木曽の宝」に関係する木曽地域や企画展の話題や写真をご紹介していきます。

木曽の宝1−食の文化財の宝庫・木曽−
木曽の宝1−食の文化財の宝庫・木曽−
[ 2016-09-01 ]

失われた鉄路をたどる9 明治時代の土木技術をみる

イベント

 本展示で、問い合わせの多い古写真に目録?21「篠ノ井線西条ー明科間淀ケ沢地区の工事」があります。旧篠ノ井線、安曇野市内の淀ケ沢で煉瓦積み橋梁(暗渠)を造り、その上に大規模な足場を組んで土砂を運ぶ途上、記念写真を撮ったものです。古い文献には「大正時代に起きた土砂災害の復旧工事」と記された例もありますが、所蔵者の話(安曇野市教育委員会経由)や工事内容から、明治時代の篠ノ井線建設当時の写真で間違いないようです。
 注目を浴びる理由の一つは、その勇壮な?作業スタイル(企画展示室か図録で見てください)。二つめは、今どうなっているのか?ということのようです。安曇野市教委によると安曇野市東川手地籍「けやきの森自然園」近くにあたるとのことです。残念ながら、大正時代に大規模な土砂災害があったため、コンクリート製の小規模な暗渠に変わってしまっています。ただし、線路敷までの盛土は健在です。
 小規模な煉瓦造り橋梁と大規模な盛土の組み合わせは、大規模な橋梁を造るよりもお値段的に安あがりで、近くのトンネル廃土を使える利点もあったようです。現在残っている類例には、淀ケ沢から歩いてすぐの小沢川に架かる橋梁と盛土に見ることができます。また、歴史館から最も近い場所では、現在も活躍中の篠ノ井線(千曲市内)で見ることができます。
 小沢川橋梁は煉瓦の積み方に特色があり、美しい仕上がりになっています。このシリーズで紹介した漆久保トンネルの直下ですので、併せてご覧になることをお勧めします。千曲市滝沢川橋梁の近くにも龍洞院架道橋(ともに登録有形文化財)があります。

失われた鉄路をたどる9 明治時代の土木技術をみる
旧篠ノ井線小沢川橋梁と盛土(安曇野市) 淀ケ沢の隣接地で類似工法が現存、盛土はさらに上まで
失われた鉄路をたどる9 明治時代の土木技術をみる
篠ノ井線:滝沢川橋梁(千曲市) 盛土は少ないが、歴史館から一番近い場所にある
[ 2016-08-11 ]

失われた鉄路をたどる8 線路敷の痕跡をたどる

イベント

 今回の展示では、常設展示室へ行く廊下に、県内の主な廃線の現状写真と、現役時代の地図を掲示しています。これまで素通りに近かったボードでしたが、立ち止まってじっくりと見ていただいています。マニアの方からは「数が少ない」「定番の場所しかない」との声もありますが、「昔、乗ったことがあるけど・・・(ずっと無関心になっていて)・・・いろいろ思い出す」とか。「この近くに昔・・・があってね」「いや、ちがうだろう。それはもう少し先の・・・」と話がはずみ、おおむね好評です。写真の数が少ない分だけ「この隣の駅は?」とか、「この先は、どうだったかなぁ」と話がふくらみ、記憶がよみがえるようです。「失われた鉄路をたどる」シリーズとしては、写真にない部分を気にかけていただき、見に行く人が増えれば大成功です。
 ところで、現代の駅や複線化された広い線路しか見慣れていない若い世代にとっては、廃線跡は意外なほど狭く感じることでしょう。単線で付属施設も少ないので、明治から昭和初期には、道路を作るよりも効率的だったのかもしれません。写真のような狭い農道程度の幅、直線か緩いカーブが目の付け所です。
 考古学の場合、遺跡を探す時は、新旧の地形図や土地利用図、新旧の航空写真、古地図や絵図、古写真等々を利用しますが、廃線を訪ねる場合も同様とのことなので、親近感があります。違うのは、新旧の時刻表を持ってゆくと良い点でしょうか。古い時刻表は往時を想像することができます。新しい時刻表はどうして?と思っていましたが、旧線の向こう側(新線)を現代の列車が通ったりするのですね。「廃線の写真を撮り終えて帰りかけたら・・・残念!」ということを経験し、はじめて実感しました。初心者には「恐るべし」鉄道の世界です。

失われた鉄路をたどる8 線路敷の痕跡をたどる
長野電鉄木島線 終点の木島駅近く
失われた鉄路をたどる8 線路敷の痕跡をたどる
上田丸子電鉄西丸子線 旧馬場停留所(駅)付近の直線道路(旧線路敷)
[ 2016-07-21 ]

失われた鉄路をたどる7 職掌は唯クロカネの道作に候

イベント

 「夢をのせた信州の鉄道」展、開催となりました。初日は雨降り、日曜は選挙で歴史館へは脚が向かないかと思いましたが、まずまずの滑り出しでした。先日、鉄道展の成功祈願?のため、日本における鉄道の生みの親、井上勝(まさる)子爵のお墓を訪ねてきました。幕末に長州藩からイギリスに渡って鉄道技術を学び、明治時代の鉄道網敷設に邁進した人です。「職掌は唯クロカネの道作に候」という名言を残しています。碓氷峠の開通にも尽力されました。 
 お墓は東京都品川区の東海寺大山墓所にあるのですが、お墓の西数mを東海道新幹線が掠め、その隣に山手線。東側に目を転ずると東海道本線・京浜東北線が通っています。何とも、「鉄道の父」に相応しすぎる場所です(本人の希望という話も)。
 東海寺はかの有名な沢庵和尚が開祖。江戸幕府と深い関係があり、広大な敷地を有していました。ところが、明治時代になると、その敷地のほぼ真ん中に日本初の鉄道(新橋−横浜間)を通すことになったのです。お寺側の意向はともかく、前回取り上げた「鉄道はできるだけ直線、勾配は少なく」という大原則を貫いたのです。品川駅からは、八ツ山・御殿山、そして東海寺を「切通し」たのです。そして、品川駅から新橋側は用地取得上の問題から、海辺に「築堤」で通しました。このように、日本初の鉄道敷設から「切通し」と「築堤」は、定番だったことがわかります。
 両隣とも現役バリバリの路線で「失われた鉄路」シリーズらしくなく、お墓の写真も野暮なので、東京の廃線=復元された旧汐留駅(新橋停車場)を載せておきます。

失われた鉄路をたどる7 職掌は唯クロカネの道作に候
旧東海寺境内を貫く切通し、この左側数mに井上勝墓所
失われた鉄路をたどる7 職掌は唯クロカネの道作に候
発掘調査後、復元された新橋ステーション。屋外で鉄道遺構がのぞける。後方は展示施設
[ 2016-07-14 ]

近世常設展の一部展示替え 諏訪社・街道のコーナー

お知らせ

【お知らせ】
 次の2つのコーナー(小テーマ)で一部展示替えをしました。そのコーナーと新展示資料は次のとおりです。

(1)小テーマ「信濃一之宮と御柱祭」
★『信州一ノ宮諏方大明神御社内之図』(しんしゅういちのみや すわだいみょうじん おんしゃないのず) 江戸時代 当館蔵
 図の右側は上社本宮(諏訪市)で、四本の御柱が建っています。左側は、明治時代になって取り壊された神宮寺(じんぐうじ)で、普賢堂(ふげんどう)や五重の塔があります。神宮寺は廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって取り壊されました。

★『諏訪大社御柱祭騎馬行列古図之写』(すわたいしゃおんばしらさい きばぎょうれつ こずのうつし) 江戸時代 当館蔵
 騎馬行列は、神官・高島藩・高遠藩らが御柱を出迎え、社へ警護・先導するための行列です。参勤交替のような大行列で、多くの見物人でにぎわいました。

★『諏訪御柱行例細見』(すわおんばしらぎょうれつ さいけん) 江戸時代 当館蔵
 大祝(おおほうり)や藩の家老らを乗せた騎馬などの大行列の図です。最下段は高遠藩の騎馬行列ですが、かつて高遠地域が諏訪地域・諏訪神社と密接な関係があったことを物語っています。

(2)小テーマ「街道の風景」
★『信州松本通見取絵図控』(しんしゅうまつもとどおり みとりえずひかえ)より『川中島周辺』 文化3年(1806) 逓信総合博物館ていぱーく蔵 複製
 自動車や鉄道が発達した現代社会において道は重要なものですが、江戸時代の幕府においても街道の維持管理は重要な課題でした。道中奉行所は寛政12年(1800)から主要街道の測量図や見取絵図を作って管理します。北国街道の追分宿から善光寺宿、および北国西街道の篠ノ井宿から洗馬宿までは『信州松本通見取絵図』が作成されました。当時の宿場の家並みだけでなく、周囲の山川や寺社等も描かれ、街道の様子を具体的に読み取ることができます。
 今回は、『川中島周辺』の展示です。この絵図では、北国街道沿いに集落が点在し、上部に千曲川、下部に犀川が流れています。北原村は、南の矢代宿と北の丹波嶋宿との間(あい)の宿(しゅく)です。『善光寺道名所図会』によると、北原村には大仏が安置された阿弥陀堂があり、接待所(旅人の休憩所)になっていました。道向かいにある旅籠茶屋松屋の主人は、川中島古戦場の旧跡を調べて木版印刷して旅人に販売、茶屋裏の池では大鯉をたくさん飼っていたという記述もあります。また、千曲川の右岸には松代城下町が描かれ、鳥打峠の麓に山本勘助塚が見えます。

 なお、7月中旬には真田氏コーナー「真田氏 戦国乱世をかけめぐる」の一部展示替えをします。新たに展示する資料は次のものです。
★『大坂冬陣之図』 江戸時代 当館蔵
 大坂城と城を取り囲む徳川軍勢の名前、堀や水路、周囲の山々が描かれています。大坂城には「右大将秀頼公」の名が大きく記されています、城の外側には真田信繁が築き戦った陣地「真田丸」が「出丸」と記され、「真田左衛門」の名も見えます。戦の動きを詳細に記した書物『大坂冬御陣覚書』と併せてご覧ください。

 資料は語っています。資料と出会い、ご解読ください。資料により1〜3か月で展示替えとなりますので、早めにご覧ください。

近世常設展の一部展示替え 諏訪社・街道のコーナー
信州一之宮諏方大明神御社内之図(江戸時代 当館蔵)
近世常設展の一部展示替え 諏訪社・街道のコーナー
諏訪大社御柱祭騎馬行列古図之写(江戸時代 当館蔵)
[ 2016-07-09 ]

失われた鉄路をたどる6 地味だけど大規模な痕跡を残すもの

イベント

 地形も地質もおかまいなく「人が作ったんだぞ〜」と主張するのが、大きな直線の構造物です。発掘された古代東山道(確実なのは県外の遺跡)などを見ると、古代国家は山だろうと谷だろうと関係なく、幅12mの直線道路を造っていたことがわかります(ちなみに、現代のセンターラインがある2車線道路の幅が6〜7m程度)。自然を克服する技術力や財力だけでなく、複雑に絡み合う地元民の権利関係を飛び越えて「直線にする力」を誇示していました。
 鉄道は、敷設する側と住民側の力関係もあるでしょうが、それ以上に、鉄道の根本的な性質上、できるだけ直線、できるだけ勾配を少なくする必要があります。線路が曲がっていたり急勾配だと、脱線しやすく止まりづらい、あるいは登れないからです。スピードが出せず燃費も悪くなります。旧信越線碓氷峠のようにアプト式ラックレールにしたり、補助機関車が必要になったりと、経費も手間もかかります。さらに、線路や路盤にも負担がかかり保線が大変になります。良いことはありません。
 そこで、高い所は削って切通し・堀割にし、低い所は土を盛って、築堤・盛土をします。こうすることで、山や丘陵を迂回せず真っ直ぐに、勾配も少なくすることができます。
 大がかりな切通しや築堤の痕跡は、廃線になった後でも地形図にしっかり残ります。今なら、ネットに提供されている航空写真などで確認することができ、廃線跡を探す目安になります。現地へ行っても見応えのある場所もあります。

※「夢をのせた信州の鉄道」展、7月9日(土)いよいよはじまります!

失われた鉄路をたどる6 地味だけど大規模な痕跡を残すもの
旧篠ノ井線の築堤跡 (筑北村)
失われた鉄路をたどる6 地味だけど大規模な痕跡を残すもの
旧上田丸子電鉄丸子線 丸子町駅近くの切通し
[ 2016-07-06 ]

失われた鉄路をたどる5 男子?の心をくすぐる大型鋼鉄製構造物

イベント

 ブリキの玩具が影を潜めた昭和40年代、世間では現役の蒸気機関車が絶滅寸前になっていました。鋼鉄製に魅力を感じる男子には残念な時代です。
 上松町赤沢の森林鉄道資料館に行くと、1960年(昭和35)に引退した木曽森林鉄道の主力蒸気機関車ボールドウィンと対面できます。D51のような「これぞ鋼鉄製」と言わんばかりのゴツゴツ感はなく、軽便鉄道のレール幅762ミリに合わせ小ぶりで、形もオシャレです。男女問わず、多くの鉄道ファンが魅せられるのも納得できます。
 ともあれ、このシリーズは「失われた鉄路をたどる」シリーズですので、機関車のような“モノ”ではなく、鋼鉄製の“遺構”を探し歩いてみましょう。レールではありません。もっとワクワクする大きさの構造物・・・そう鉄橋です。
 信州の深い谷あいに鉄路敷くため橋は必需品でした。しかし、廃線鉄橋の多くは外されて売却されてしまいます。そのため、橋台や橋脚しか残っていない場合が大半です。そんな中で、多数の鉄橋を見られるのが木曽森林鉄道です。
 ボールドウィンが木材を満載した貨車を引きながら渡る写真(夏展にも展示します)、で有名な鬼淵鉄橋は、中央線の上松駅から歩いて10分ほどの場所にあります。今では、隣接する道路用の鉄橋が一回り大きいため目立ちませんが、保存運動の甲斐もあり、1915年(大正4)竣工の勇姿はいまだ健在です。
 大桑村野尻から阿寺渓谷を上ってゆくと、山あいの景観に溶け込むような小さな鉄橋が目に入ってきます。歩道橋程度の幅しかない、いかにも「林鉄」らしいサイズです。
 「林鉄」には、道路に転用されているものも含め、他にも鉄橋が残っています。鋼鉄製大型構造物に惹かれる男子だけでなく、鉄道女子も木曽森林鉄道を訪ねてはいかがでしょうか。避暑にもよい季節です。
 ※当館の「夢をのせた信州の鉄道」展は、7月9日(土)〜8月28日(日)

失われた鉄路をたどる5 男子?の心をくすぐる大型鋼鉄製構造物
上松町 王滝森林鉄道 鬼淵鉄橋
失われた鉄路をたどる5 男子?の心をくすぐる大型鋼鉄製構造物
大桑村 阿寺森林鉄道 大石の橋
[ 2016-06-28 ]

琉球切手 6月23日は沖縄「慰霊の日」

イベント

 太平洋戦争末期の沖縄戦は、一般住民を巻き込んだ地上戦で、10万人ちかい沖縄県民が戦死しました。1945年6月23日は、第32軍司令官牛島満中将が自決し日本軍の組織的な戦闘が終結した日です。そのため沖縄県は、戦没者の追悼と恒久平和を願って6月23日を「慰霊の日」と定めています。
歴史館は、昨年「戦後70年企画 長野県民の1945」の特別展を実施しました。その展示を契機に、アジア・太平洋戦争に関連した資料が、寄贈されました。
 その中に、沖縄切手あるいは琉球切手と呼ばれる、1972年5月14日の本土復帰までのアメリカ統治下の沖縄で発行された切手があります。90枚ほどが寄贈され、現在整理中ですが、その中の一枚を紹介します。
「オリンピック東京大会沖縄聖火リレー記念」の「3¢(セント)」の切手で、守礼門に五輪マークと聖火が描かれています。「円」ではなく「¢」が米国統治下であることを物語っています。1964年8月21日にギリシャのオリンピアで採火された聖火は、予定より遅れて9月7日に沖縄に到着しました。盛大な歓迎式典が行われ、リレーの沿道では日の丸が振られ、その光景はまるで日本に復帰したようであったといわれます。

琉球切手 6月23日は沖縄「慰霊の日」
[ 2016-06-22 ]

失われた鉄路をたどる4 もりあがる上田城本丸を横目に

イベント

 大河ドラマ「真田丸」の影響で、上田城跡公園は連日観光客で溢れかえっています。こんな時に外堀の中だけを通り、本丸には目もくれずに二の丸仮設駐車場を抜け、矢出沢川の橋台跡へ向かう・・・なんてひねくれ者はいないでしょう。
 ここはかつて、上田電鉄真田傍陽(そえひ)線の線路敷でした。堀の中に架線の土台が残っていたり、公園前駅のプラットホームを見ることができます。実は、上田城跡は上田の近・現代史を語る上で重要な痕跡がたくさん残っている場所でもあります。
 ところで、この路線は真田氏本城跡がある旧真田町へ延びるため、各地で真田ファンと遭遇します。「なんで、そんなところを見ているの?」「ディープなマニアしか知らない真田氏の痕跡が隠されているの?」といった訝し気な視線・・・。でも、その先には古びたコンクリート構造物や近・現代の石積みしかありません。
 真田駅はバスターミナル横の駐車場下にプラットホームの基礎を見ることができます。少し上田方面に戻り、国道144号線から上田市立第5中学校方面に向かうと、5中の手前で樋ケ沢駅の古びたプラットホームと線路敷が道路から見ることができます。
 気にして探してみると、プラットホーム跡も意外に残っているものです。上田電鉄関係では、西丸子線の下之郷駅をはじめ、複数個所で痕跡をとどめています。また、布引電鉄の布引駅、善光寺白馬電鉄の茂菅駅ほか、あるいは池田電鉄の複数ヶ所で駅やその痕跡が確認できます。
 ただし、前回もお話ししましたが、立て看板がなくても私有地は立入禁止です。公道から見学することができたとしても、プラットホームが個人宅や物置の基礎になっている場合がありますので、くれぐれも節度をわきまえてください。
 ※夏季企画展「夢をのせた信州の鉄道ー失われた鉄路の軌跡ー」(7/9〜8/28)開催まで、いよいよ一ヶ月を切りました。ご期待ください。

失われた鉄路をたどる4 もりあがる上田城本丸を横目に
今年は、人がいない時間を狙って撮影するのが大変な公園前
失われた鉄路をたどる4 もりあがる上田城本丸を横目に
別所線下之郷駅の脇に西丸子線のホームと駅舎が残る
[ 2016-06-15 ]

歴史館ふるさと講座in千曲 「謎ばかりの真田氏〜居城と城を中心に〜」を開催

講座・セミナー

 6月4日、晴天の土曜日の午後、千曲市の戸倉創造館で第1回「歴史館ふるさと講座in千曲市」が開催されました。多くの県民の皆様に、長野県における最新の歴史研究の成果をお伝えするため、新たに設けられた講座です。千曲市教育委員会の共催をいただき、施設準備や広報等お世話になっております。
 今回は笹本正治当館館長が講演をしました。188名の皆さんが熱心に聴講されました。真田氏のルーツや、支配を行う根拠、真田の居館・城についての指摘がありました。
 次回は当館の村石正行専門主事が「川中島合戦と真田幸綱」と題しての講演をします。
 場所は1回目と同じ千曲市戸倉創造館で、6月10日(金)の19時から20時30分までです。

歴史館ふるさと講座in千曲 「謎ばかりの真田氏〜居城と城を中心に〜」を開催
講演する当館笹本館長
歴史館ふるさと講座in千曲 「謎ばかりの真田氏〜居城と城を中心に〜」を開催
188名のみなさんが聴講されました。
[ 2016-06-08 ]

失われた鉄路をたどる3  トンネルを覗いてみる

イベント

 橋台・橋脚は意外と残っていて、見つかると嬉しいものです。しかし、もっと確実に残っているのがトンネル(隧道)です。一度掘り抜いてしまえば、大崩落でもない限り痕跡を消すことが難しいからです。ただし、使われていない廃トンネルは危険ですので絶対に入らないでください。また、他の廃線施設もそうですが、個人や団体の所有地・管理地になっているので、勝手に敷地に立ち入らないようお願いします。ということで、ご紹介するのは、現在も生活道路に利用されている旧信越線の旧戸草トンネル(信濃町)、遊歩道になっている旧信越線の横川−熊ノ平間のトンネル群です。このシリーズ初回に写真を掲載した旧篠ノ井線も、明科(安曇野市)側は遊歩道として散策が可能です。
 1888(明治21)年、県内で一番早く、直江津-長野間に官設の鉄路が敷かれました。難工事が予想された碓氷峠への資材運搬線の目的も担っていました。1887(明治20)年に完成した旧戸草トンネルは、現在、しなの鉄道北しなの線「古間駅」の南、歩いていける地点にあります。車1台が通れる程度の小ぢんまりとした大きさ、古びた切石と煉瓦でできたトンネルは、鉄道での現役生活を終え、第2の人生を生活道路として地元の人たちとのんびり過ごしている、といった感じです。
 碓氷峠のトンネル群は、安中市の10ヶ所が遊歩道になっており、違いを比べながら歩く楽しみがあります。有名なめがね橋(第3橋梁)から峠側は、「お金はないけど、とにかく一日も早く仕上げろ!」といった強い指示が聞こえてきそうです(あくまで私の感想です)。難工事を担う現場担当者や職人を苦しめた雰囲気が伝わって来ます。例えば、開口部の造りが横川駅に近いトンネルに比べて簡素だったり、排土と掘削の時間をかせぐためトンネル中央付近に横坑を掘っていたり、1つのトンネルだったのを中央の尾根を削って短い2つのトンネルにしたり・・・と、工事終盤は大変な騒ぎだったようです。

失われた鉄路をたどる3  トンネルを覗いてみる
旧戸草トンネル(信濃町)
失われた鉄路をたどる3  トンネルを覗いてみる
旧碓氷第7トンネル(安中市)
[ 2016-06-07 ]

金属メス vs 黒曜石ナイフ

お知らせ

 近年、シカ・イノシシなどよる農作物被害や、またクマによる人身被害が大きな問題になっています。長野県環境保全研究所では、その対策としてシカ・クマなどの生態調査、保護管理計画にともなうモニタリング調査を行っています。具体的には害獣駆除されたシカ・クマなどを解剖して、毛や脂肪などから何を食べていたか、DNA分析で出自を、歯にみられる縞から成長の具合などを調べるそうです。
 ところが脂肪の多い野生動物は金属のメスがすぐにだめになってしまうようです。そこで金属メスに代わる新たなメスの候補としてあがったのが、旧石器・縄文人が用いた黒曜石製のナイフでした。
 6月2日(木)午後、研究所の方が当館の中庭で解剖を試みました。その結果なんと黒曜石のナイフの方がはるかに使い勝手がよく、ふつう金属メスだと2~3本をだめにするクマの頭部の解体を黒曜石ナイフ1本で、いとも簡単に行うことができました。
 黒曜石の石器は金属器の出現によって衰退します。ただ、すべて金属が勝っていたようではなさそうです。脂肪の付着は黒曜石の方が少ないようで、長く切れ味を保ちました。  旧石器・縄文時代の黒曜石製ナイフは動物解体には最強の道具だったようです。
 クマは小谷村で捕獲されたものだそうです。当日、偶然にも白馬村の小学生がこの解体を見学しました。このクマの分析調査を進めてもらい、人間とクマが将来うまく棲み分けできるようになるといいですね。

金属メス vs 黒曜石ナイフ
黒曜石ナイフを使った解体の様子
[ 2016-06-04 ]

中学生の職場体験学習

イベント

 長野県立歴史館では、毎年10校前後の職場体験学習を受け入れています。

 平成28年度の職場体験学習の第1弾が、5月31日、6月1日の両日行われました。
 長野市内の中学生3名が来館し、当館各課の仕事を体験しました。
 体験を通して、「昔の貴重な資料(古文書)が見られてうれしかった。資料を保存するのも仕事の一つだとわかった」「土器、石器、人骨などを決まった場所に整理し、それを使えるようにしておくことの大切さを知った」「お客さんと接する仕事では、たくさんの人に声を掛け、挨拶やお礼をしていた」など、多くの気づきを得たようです。

 閲覧室の整理作業では、根気よく書籍を運んでいる姿が見られるなど、粘り強く丁寧に作業できる意欲的な3名でした。(写真は、古文書を検索している様子です。作業に先立ち、データベースを用いて資料が系統的に保存されていることを学びました。)
 2日間という限られた時間内での体験でしたが、今後の学校生活に少しでも役立つことがあればと思います。

*

 当館では、中学生、高校生、大学生を中心に、職場体験学習を随時受け入れています。
 1日の受け入れ人数(上限)を定め、原則として先着順でお受けしていますので、ご希望の際は早めにご相談ください。

中学生の職場体験学習
[ 2016-06-02 ]

失われた鉄路をたどる2 跡地利用しにくい場所を見る

イベント

 地面に残されたわずかな痕跡から歴史を復元するのが考古学ですが、“鉄道考古学”を掲げる人には、大きく3タイプあるようです。
 1つは、愛読書が『時刻表』、現役の鉄道は乗りつくしてしまい廃線を歩くようになった宮脇俊三さんタイプです。国鉄(現JR)の完乗記念に1978年『時刻表2万キロ』を刊行。約十年後には、廃線歩きの中で「鉄道考古学」を語っています(1989年『失われた鉄道を求めて』)。
 2つめは、土木や工学・機械系の研究者で、近代化産業遺産研究の一部として「鉄道考古学」を掲げている人々です。元祖「考古学」のお得意は発掘ですが、こちらは残存している橋やトンネル、あるいは機械モノの調査を主にしているようです。
 そして、3つめは、元々、縄文や弥生時代の遺跡を掘っていたのに、たまたま鉄道遺構を掘ることになったタイプです(最近は積極的に近代の遺跡に取り組む人も)。私が学生の頃、近世・近代は「後世の攪乱」だから「飛ばしてしまえ」(調査せずスコップで掘り飛ばす)と言われたものでした。しかし現在、日本で鉄道が開通してから140年以上経過していることを考えると、発掘調査の対象となるのも当然と言えば当然です。
 廃線を「考古学する」難しさは、廃線の時期が新しい点です。いわゆるスクラップ&ビルド時代のため、壊して効率よく跡地利用されてしまい、あまり痕跡を残さないからです。しかし、老眼が進もうとも考古学徒の目を見くびってはいけません。まずは、「後世の攪乱」を受けにくい場所に着目してみましょう。例えば縄文の遺跡でも、利用しやすい場所は後の時代に手を加えられてしまい、縄文時代の遺構は壊れています。だから、なるべく跡地利用のしづらそうな地点に目を向けてみます。廃線なら河川の斜面なんか・・・、と!!!、橋台が残っているではありませんか。後の護岸工事で新しいコンクリートが被さりながらも、しぶとく残っている例などは「邪険にされながら、よくぞ残っていてくれた」と感動モノです。

失われた鉄路をたどる2 跡地利用しにくい場所を見る
上田交通旧真田傍陽線には数ヶ所で橋台が残っています。(上田城の北で矢出沢川を渡る)
失われた鉄路をたどる2 跡地利用しにくい場所を見る
布引鉄道の煙突のような橋台と崩れ落ちた残骸(千曲川をわたり布引観音方面へ)
[ 2016-05-17 ]

バックヤード探検 〜学校見学の様子から〜

お知らせ

長野県立歴史館では、毎年、県内外から200校以上の学校見学を受け入れています。学校見学に来る子どもたちや先生方から好評なのが、通常では公開していない歴史館の裏側を見ることができる「バックヤード探検」です。
館内に展示されている展示物は、本館の収蔵物のほんの一部です。普段見ることが出来ない貴重な遺物を間近に見ることができ、子どもたちも目を輝かせて見入っています。書籍や写真からの情報ではなく、本物がもつ力強さを感じます。バックヤード探検は、対応できる人数・時間に限りがありますので、残念ながら希望に添えない場合もございます。希望される学校・団体は、早めに申込をお願いします。なお、8月に実施する「歴史館で夏休み」では、一般の皆様にもバックヤード探検をしていただけます。詳細は後日お知らせいたします。

バックヤード探検 〜学校見学の様子から〜
約3500年前の縄文人と対面
バックヤード探検 〜学校見学の様子から〜
縄文土器と弥生土器の違いを体感
[ 2016-05-13 ]

長野県内外から多くの学校見学を受け入れています。

お知らせ

当館の大切なお客様として、「小学生・中学生」の皆さんがいらっしゃいます。
春から秋にかけて、県内外の多くの学校見学を受け入れており、館内展示を見学していただいています。
本日も多くの学校見学のみなさんにお越しいただきました。
学校見学のお客様がいらっしゃると、歴史館に活気がみなぎってくるように感じます。児童・生徒の皆さんが、当館の展示を見たり、解説員の説明を聞いたりする中で、「わー」とか「へー」などという反応を示して見学してくださることが、我々歴史館の職員の大きな喜びとなっています。
今年度も、「学校見学」でご来館いただいた皆さまにご満足いただけるように、精一杯頑張りたいと思います。
そして、児童・生徒の皆さんが、次回は、お家の方と一緒に来たいなあと思っていただき、実際にお越し頂ければ幸いです。じっくり見て、体験していただける展示がたくさんあります。
「学校見学」に限らず、多くのお客様のご来館をお待ちしております。

長野県内外から多くの学校見学を受け入れています。
学校見学の様子1
長野県内外から多くの学校見学を受け入れています。
学校見学の様子2
[ 2016-05-11 ]

失われた鉄路をたどる1 “歴史”の仲間入りをした廃線

イベント

 夏期企画展「夢をのせた信州の鉄道-失われた鉄路の軌跡-」を前に、県内の廃線を歩いています。今や、廃線歩き(歩鉄)のガイドブックやネット情報は多々あり、市民権を得た観があります。旧碓氷線(信越線)や篠ノ井線の旧線跡では、遊歩道や案内板などが整備され、“鉄ちゃん”ではないハイキング客・観光客がたくさん訪れています。
 あたり前のことですが、特別な事情がない限り、鉄道会社の職員でもない我々が鉄路を“歩く”わけにはいきません。廃線でなくてはなりません。しかも、マニアでもない人々が訪れるということは、廃線に「・・・兵どもが夢の跡」といった歴史に裏打ちされた感傷や郷愁を感じてのことでしょう(単に歩きに来た人も?)。つい昨日のことだと思っていた事件(廃線決定日)が、“歴史”になりつつあるのでしょう。わが歴史館が目をつけるのもそのあたりです。
 廃線が“歴史”の仲間入りをはじめたのはいつ頃でしょうか。きっかけの一つは1983年堀淳一『消えた鉄道 レール跡の詩』の刊行でしょう。「風土と歴史をあるく」シリーズの1冊で、続刊を見ると『山の辺の道』『鎌倉街道』『熊野古道』といった蒼々たる「歴史の道」がラインナップされています。鉄道関係の専門書や雑誌ではなく、歴史書の1巻に入ったのです。県内では、2014年に再版された小林宇一郎・小西淳一監修『信州の鉄道物語(上)消え去った鉄道編』の初版が1987年です。
 近代日本の大動脈となった鉄道、その役割を道路・自動車に譲りつつ廃線が増加したのが1960年代以降とすると、「夏草や近代日本の夢の跡」として、廃線が歴史に加わったのが1980年代以降のようです。
 次回からは、失われた鉄路の現地をたどっていきたいと思います。

失われた鉄路をたどる1 “歴史”の仲間入りをした廃線
旧篠ノ井線漆久保トンネル(安曇野市)
失われた鉄路をたどる1 “歴史”の仲間入りをした廃線
トンネル説明板わきのスタンプ
[ 2016-05-08 ]

「歴史館でこどもの日」を開催しました。

イベント

ゴールデンウィーク中の5月4日(水)、5日(木)の2日間、特別企画「歴史館でこどもの日」を開催しました。
2日間の期間中、大勢の親子連れの皆さんが歴史館を訪れ、体験を通し、楽しく歴史を学ぶことができたようです。「石のアクセサリーづくり」に参加された方は、ていねいに石をけずり、世界でひとつだけのオリジナルのアクセサリーを仕上げていました。「縄文人になって遊ぼう」のコーナーでは、当時の服装で、縄文人になりきっているほほえましいご家族がいらっしゃいました。また、長野県埋蔵文化財センターの方にご協力いただいた「土器洗いにチャレンジ」のコーナーでは、実際に県内の遺跡から出土した土器にふれる貴重な体験ができました。
こういったイベントを通して、さらに、歴史に関心をもっていただければと考えております。夏休みにも同様の企画を計画しておりますので、ご期待下さい。

「歴史館でこどもの日」を開催しました。
縄文人になって遊ぼう
「歴史館でこどもの日」を開催しました。
土器洗いにチャレンジ
[ 2016-05-07 ]

ゴールデンウィークは長野県立歴史館へ! 歴史館でこどもの日 5月4日、5日

イベント

ゴールデンウィークの予定はお決まりでしょうか?長野県立歴史館では、GW特別企画「歴史館でこどもの日」を今年度も開催いたします。期日は、5月4日(水)、5日(木)の2日間です。実施するイベントは次の通りです。
○石のアクセサリーづくり(石をけずって世界で一つだけのアクセサリーをつくります)
○バックヤード探検〈拡大版〉(普段は入ることのできない博物館の裏側に招待します)
○縄文人になって遊ぼう!(本物の土器をもったり、縄文人の服を着てみたりします)
○土器洗いにチャレンジ!(遺跡から出てきた本物の土器を洗います。気分は考古学者!?)
開催日時・費用等は、下の「歴史館でこどもの日」チラシをクリックしてご確認下さい。
イベント以外にも、歴史館では、当時の人々の暮らしをイメージしながら長野県の歴史を楽しく学べる常設展示、長野県の最新の出土品がご覧いただける「平成28年度巡回展 長野県の遺跡発掘2016」もお楽しみいただけます。ゴールデンウィークはぜひ長野県立歴史館へお越し下さい。皆様のご来館をお待ちしております。

ホームページ改修のため、しばらく歴史館ブログの更新が止まっており、大変ご迷惑おかけいたしました。今後は適宜、長野県立歴史館の様子を紹介していきますので、ホームページ、フェイスブックとともにご覧ください。

ゴールデンウィークは長野県立歴史館へ! 歴史館でこどもの日 5月4日、5日
昨年の「歴史館でこどもの日」の様子
[ 2016-04-27 ]

解説ボランティアによる常設展「日曜解説」開催中!

お知らせ

3月までの毎週日曜日、当館解説ボランティアによる常設展の展示解説を行っています。およそ50分のコースで、常設展を一緒に回りながら4万年の信濃の歴史を「楽しく」「わかりやすく」ご案内します。時間は、午前10時〜、11時〜、午後1時30分〜、2時30分〜の4回です。
事前の申込みは必要ありません。ご家族でもお一人様でも受け付けています。解説料金は無料ですが、大人の方は観覧料が必要です。高校生以下のお子様は観覧料が「無料」です。
ぜひご家族やお友達と気軽に歴史館に遊びにきませんか?「歴史との対話」「ボランティアとの対話」を楽しみながら、新しい発見に心躍るかもしれません。
下の写真は、解説ボランティアさんと一緒に展示を見学したご家族の様子です。ご案内した子どもたちは、近世農家内のネズミやヘビ、馬と人間との関わりに驚いていたようです。様々な展示資料の説明を受けながら、興味をもってご見学されていました。皆さんのご来館をお待ちしています!

解説ボランティアによる常設展「日曜解説」開催中!
解説ボランティアさんと一緒に常設展を楽しく見学中!
[ 2016-01-30 ]
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