源頼朝のことを知るために、鎌倉時代に書かれた本『吾妻鏡(あづまかがみ』や、『玉葉(ぎょくよう』など京都の貴族の日記、『平家物語(へいけものがたり』などの軍記物語、各地の武士が残した古文書類、などを調べてみたよ。
 『平家物語』には、1183年(寿永2)、源義仲(よしなかを牽制するために頼朝が信濃国に出陣したと書いてあったよ。「熊坂(くまさか山(長野県信濃町)に陣どった義仲に対し、頼朝は善光寺近辺に宿営し、しばらくにらみ合いになったけど、義仲は子の義高(よしたかを人質に差しだし、同族の戦はいったん回避された」と書いてある。でもこれは頼朝が生きていた時代のずっと後の物語の記事なので、もう少し調べてみないと本当のことははっきりしないんだ。
 『吾妻鏡』には、この年頼朝が善光寺へやってきた記事はないんだ。でも、後年、戦乱で荒廃した寺を再建するように命令したりしたみたいだから、善光寺への関心は高かったみたいだね。
その昔、善光寺には源頼朝の像があって、この像を武田信玄が甲斐(かい国(山梨県)に移したんだ。この源頼朝像は現在も残っているし、頼朝は善光寺を復興した功労者としても知られているんだよ。
 頼朝の家来、相良(さがら氏が記した古文書には、1197年(建久8)の法要に頼朝が善光寺を訪れたことが書かれているんだよ。
これらのことから頼朝の善光寺参拝は、歴史的事実だと考えられるんだ。それに、善光寺周辺や北信地域には頼朝に関する伝承が多く残っているから、調べてみるととても面白いかもしれないね。

善光寺を訪れた頼朝と
人質に出される清水冠者義高