市河氏について

 市河氏は、甲斐国(山梨県)の出といわれる。鎌倉時代中期には信濃国に進出し、地元の中野氏と婚姻関係を結び、同氏の所領である高井郡志久見郷(現下水内郡栄村を中心とする一帯)を自らのものとしていった。南北朝時代から室町時代には、村上氏や高梨氏など北信の国人が守護や幕府に対して反抗を繰り返すのに対し、市河氏は一貫して北朝方・幕府方・守護方として活動した。戦国時代には、越後に近接するにもかかわらず、武田方に属すなど、時には孤高の立場をとりながら、独自の生き残り策をとってきた。武田氏の滅亡後は上杉方に属し、上杉氏の転封により会津へ、さらに米沢に移り米沢藩士として明治維新を迎えた。1890年、市河家は陸軍屯田兵として北海道に移住した。

市河文書について

 山形県酒田市にある本間美術館に「市河文書」が所蔵されている。「市河文書」は平安時代末から戦国時代に至る約400年間の市河氏の動向を記した信濃国を代表する武家文書である。現存している唯一の史料とされる木曽義仲下文が含まれ、全国的に見ても貴重な武家文書として高く評価され、重要文化財に指定されている。戦前に市河氏から伊佐早謙氏の手に渡り、その後、伊佐早氏の手から本間家に渡り、本間美術館の所蔵となった。 戦前149通あったが、表具し直される過程で146通となり、足利義満感状など3通が流失している。1969年に北海道釧路市在住の市河氏の子孫宅から、新たな史料が発見された。これが山梨県立博物館が所蔵する「市河家文書」である。その中には、甲越合戦で活躍した山本勘助の実在を示す文書も含まれ、戦国期の信濃にかかわる重要な史料と注目を集めた。いずれの史料ももとは市河一族に所蔵されていたもので長野県と深い関わりのあるものである。

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