| 資料No | 97 |
|---|---|
| 西暦 | 1343 |
| 和暦 | 康永2年12月 |
| 説明 | 市河倫房の代として子の親房が、信濃国守護小笠原貞宗の軍に属して常陸国大宝城(現茨城県下妻市)の南朝方を攻め、その軍功を上申し、吉良時衡の証判を得た軍忠状。倫房は眼病を患ったとある。また大宝城は下妻政泰の城で、春日顕国や興良親王が入城した南朝の拠点であり、前年の3月より北朝方と激しい戦いが行われ、本文書の前月に落城した。 |
| 資料No | 97 |
|---|---|
| 西暦 | 1343 |
| 和暦 | 康永2年12月 |
| 説明 | 市河倫房の代として子の親房が、信濃国守護小笠原貞宗の軍に属して常陸国大宝城(現茨城県下妻市)の南朝方を攻め、その軍功を上申し、吉良時衡の証判を得た軍忠状。倫房は眼病を患ったとある。また大宝城は下妻政泰の城で、春日顕国や興良親王が入城した南朝の拠点であり、前年の3月より北朝方と激しい戦いが行われ、本文書の前月に落城した。 |