屋代の低地に広がっていたケヤキとケヤキ製品(木器保存処理室より6)

漆器椀

 前回、屋代地区にはカツラやケヤキの茂る低地林があり、それが、弥生時代中期以降の水田開発によって消滅した、という話をしました。現在、ケヤキ(欅)は、神社境内などで比較的多く見られます。歴史館に近い場所では、武水別神社の社叢が、県の天然記念物に指定されています。逆に言うと、単独で信仰の対象になるか、あるいは指定することで保護しなければ、大木や森林は残っていけないのが現状です。
 一方、身近にあって手に入りやすく、加工にも向いていたケヤキは、さまざまな製品に使われてきました。飛鳥〜奈良時代の屋代遺跡群出土品を見ると、大形品では、神聖な「水辺の祭祀」で水を流す木樋に選ばれた一方、雑木として河岸の杭にも使われていました。また、小形品には、ろくろを使って加工した挽物(ひきもの)の盤や皿、ノミや小刀で刳り抜いて作った刳物(くりもの)の槽(そう)や、乗馬用の壺鐙(つぼあぶみ)が見つかっています。さらに、繊細な細工が必要な櫛の素材にも利用されました。
 現在、保存処理中の社宮司遺跡(平安時代)では、建物の柱を支える礎盤に利用された例が多くみられます。さらに、室町時代の東條遺跡では、主に漆器椀の素材に使われており、下駄や建築材なども認められます。今年度後半から来年度にかけて、順次、間近で観察できるようにする予定です。

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