木器保存処理室より14

長野市川田条里遺跡 埋没樹木の写真
長野市川田条里遺跡 埋没樹木

 みなさんは「埋没林」と聞くと、どのような出来事を想像されるでしょうか。「大規模な地殻変動で、広大な森林が地下に埋まった」といったイメージでしょうか。ところが、日本列島で発見された埋没林は、(1)飯田市遠山川埋没林のように、小河川の堆積や土砂崩れで埋まった例、(2)軽井沢町浅間山東麓埋没林のように、火砕流などで埋まった例、(3)富山県魚津埋没林のように、海水面が上昇して水没し、土砂で埋まった例などです。こうした自然現象は、日本列島に人類がやって来た数万年前から今日までの間に、各地で繰り返し起こってきました。
 ということは!森や樹木に働きかけた人の痕跡が、たくさん残っているかも知れません。
 魚津埋没林博物館では、全国69の埋没林が一覧表で紹介されています。さらに、低地での発掘調査が多くなった近年は、毎年のように遺跡とともに見つかる埋没林が増えつづけています。例えば、奈良県中西遺跡では、弥生時代の水田跡に接して伐採痕のある立木や、使わなかった材が残っていました。樹の種類や樹齢の構成にも人がかかわっているらしく、樹木と人の関係を考える上で注目を浴びています。
 さて、県内では、短期間に水田と森林が入れ替わる興味深い事例があります。それは、上信越自動車道建設に伴う長野市川田条里遺跡D区の発掘調査で見つかりました。弥生時代の水田が砂に埋まってできた微高地から、8本の立木の根痕が発見されたのです。うち3本の樹種を調べたところ、クリ、コナラ属、クヌギ節でした。ここは、まわりに同時代の水田や墓域があるため、自然に森が出現したとは考えにくい場所です。生えてきた樹木の内ドングリ類だけを残したのか、あるいは積極的にクリなどを植えたのか興味深い例です。似た例は、静岡県瀬名遺跡の弥生時代の層で確認されており、こちらは5本すべてがクリでした。水田を埋めてしまった土砂の上を、一部栗林に利用していたようです。
 このように、埋没林は、樹木と人の関係を知る上で貴重な資料と言えます。  
※10/3〜11/29秋季企画展「樹木と人の交渉史」

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