古文書公開日記24ー鉄座の由緒ー
江戸時代、小諸藩長沼氏が所持していた文書があります。そのなかには興味深い史料として、「先祖松千代鉄座御免許并御由緒筋申上候書付」という記録があります。内容は、三河国松井氏の由緒書でした。松井惣左衛門尉光次という人がいて松平清康に仕えたことになっています。さらに清康の家康の時代には、1560年の石ヶ瀬・小谷合戦の記述が出てきます。この戦いは現在の愛知県知多郡周辺でおこったのですが、家康配下の松井氏一族がよく働いたこと、とくに左近忠次という人物が大奮戦し、忠次は眼球に鉄砲が当たる怪我を負いながらも敵を討ち取ったと記述されています。なおこの戦いで多くの戦死者を出した松井家はその嫡子がなく、忠次の所縁で北条家臣松田尾張守から養子を得たとされています。そして家康より幼名松千代と名付けられました。そして1565年4月18日付で永鉄座支配を免許する旨の判物を家康から拝領しており、その文書の写がこの記録に掲載されています。なお江戸時代になって松井氏は徳川大納言忠長に仕えましたが、彼の改易後は武蔵国多摩郡八王子宿で浪人となり、松井家の鉄座支配も廃絶しました。
この由緒は幕末に大坂に鉄座が再興する際に活用されたことが知られています。この写が小諸藩牧野家家臣長沼氏が所持している理由は不明です。ただし、牧野氏は三河国牛久保出身、長沼氏も三河国芳賀郡長沼(静岡県静岡市)を名字の地としたと思われます。この関係で松井氏と接点があったのでしょうか。今後の研究が待たれます。