古文書公開日記76 -水内村在郷軍人会と青年団との関わり-

 上水内郡水内村(現長野市信州新町)北原家文書(上條信彦氏収集文書)には、水内村の在郷軍人分会長や村会議員を務めた北原長雄関係の資料が多く収められています。当ブログでも、在郷軍人会に関連した満蒙開拓や青少年義勇軍、国防婦人会等の資料を紹介させていただきました。

 今回は在郷軍人会と青年団や青年学校との関わりを示す資料を紹介します。以下は昭和10年1月23日付の水内村青年団十周年記念式の案内文で、水内村在郷軍人分会長だった北原長雄へ宛てたものです。青年団と在郷軍人会とのつながりがわかります。

 また、次の資料は昭和10年8月、水内青年学校長から在郷軍人分会長の北原に宛てられたもので、青年学校に関わる資料です。青年の教育機関としては基本的に小学校に付設された実業補習学校と1926(大正15)年に創設されて軍事教練も行う青年訓練所(青訓)がありました。この実業補習学校と青年訓練所は在籍生徒の年齢が一部重なることもあり、1935(昭和10)年の「青年学校令」により統合されました。こうしてできた青年学校は文部省と陸軍省の連携の下、軍事教練を含めた職業教育が実施されました。

 この資料には「貴分会員より適任者2名程ご推薦下されたく候」とあり、水内村軍人分会長が水内青年学校指導員の推薦を依頼されています。文末には「今後とも一層のご援助を・・・」ともあり、地域の中枢となる青年教育に分会単位の在郷軍人会が深く関わっていたことがわかります。

 また、1940(昭和15)年11月には「昭和15年度上水内郡青年学校連合演習行事表」が信濃教育会上水内教育部会より北原宛に送られており、在郷軍人会が演習面で果たした役割は大きかったのではないかと考えます。

 『信州新町史下巻』(1979)によれば、北原長雄は昭和4,5年に水内村青年団長を務めています。その北原が在郷軍人会分会長となったことは青年団と連携して、在郷軍人会が地域での統制力を高めるために極めて有効だったのではないでしょうか。この後北原は村会議員にもなり、地方自治の要として、在郷軍人会と青年団をはじめとした地域組織を結びつけていきます。北原家文書はこのように組織をつなぐ地域の中心人物の視点から歴史を考えていく上で大変興味深い資料と言えるでしょう。

 さて、この上水内郡水内村北原家文書ですが、整理が終わり、令和4年7月に公開をすることができました。これからの研究で活用していただけることを大いに期待しています。(大森昭智)

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