古文書公開日記77 ―佐久郡八幡宿問屋依田家文書―

 古文書の整理が進んでいます。令和2年度にご寄贈いただいた資料群「八幡宿依田家文書」は総点数1万点近くにものぼります。この家は江戸時代小諸藩御用達の家で八幡宿名主・問屋を兼帯していました。七郎兵衛直慶の時代には酒造業も営んでいます。依田家には直慶およびその子仙左衛門直孟(上羽屋)の時代の文書が最も多いです。多くの文書は古文書箱に詰められており、この時代の宗門人別帳や年貢皆済帳などの名主の役文書がまとまっています。

 興味深いのは酒造業および火薬の原料となる硝石生産関係の文書がまとまっています。後者はとくに弘化3年の「硝石生産願」に始まります。「硝石製法帳」も当時の製法が記述されており貴重な資料と言えます。「依田系図」には「小諸城主牧野公に仕え御用達勤務、嘉永年間開港談判により議論沸騰、国事多難の際硝石製造の急務なるを幕府に建言し、硝石製造の御用を聴許せらる。其の製造に係る硝石は年々幕府に納む。年季中仙左衛門自身又は手代の者一人は江戸に詰め切りなり」とあり、幕府から認可され硝石製造の行に携わったことが知られます。

 このため上羽屋は繁盛したとみられ中山道問屋として多くの寄宿があったことが知られ、宿札も残されていいます。長野県権令大野誠や内務卿山県有朋のもの、初代岩村田藩主内藤式部少輔正友など珍しいものです。このほか多くの文化財も収集しています。絵画・俳諧・華道の面で精通をしていたと見られます。鷹図はもと掛幅だったものを一隻屏風に仕立てたものです。

 

なお直孟の次男鉄之助は偽官軍事件の赤報隊に名を連ねた人物ですが、押印しなかったために処罰を免れたといいます。

 全貌は目録として近日中に公開することになっています(村石正行)。

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