本目録に収録した筑摩郡井苅村文書は、長野県立歴史館が平成17年(2005)に購入した資料である。 井苅村は、筑摩山地の中ほどの会田地区(旧四賀村)周辺の小盆地から、西の犀川へと流れ下る会田川の両岸にまたがる村である。会田川が松本市(旧四賀村)と安曇野市(旧明科町)との境で山間の狭隘部にさしかかる付近に広がり、村の中央を、会田と明科を結ぶ東西路と、北山と執田光を結ぶ南北路が貫いている。山間地ではあるが、このような環境から、特に東西交通の要地として早くから拓かれた地域である。現在は、松本市(旧四賀村)に属している。 享保10年(1725)までは松本藩領、以後幕府領となり(寛保3年以降は松本藩預かり地)、明治8年(1875)に会田村の一部となった。村高をみると、享保9年(1724)には264石余で、「天保郷帳」では283石余であった。 本文書は、井苅村の名主家に伝来してきたものであると考えられ、年代は延宝8年(1680)から天保13年(1842)におよぶ。文書の内容は、年貢割付状と皆済状が多いが、境論、山論に関する文書が3点ほど含まれ、近世の山村の様子を物語っている。 当館所蔵の関連文書として、近隣の筑摩郡北山村文書(5-19/本書所収)、筑摩郡北山村新田文書(5-3/本書所収)、筑摩郡潮村文書(5-4/本書所収)がある。 |