筑摩郡会田宿問屋横内家文書

詳細情報
資料No 安筑〔5〕/5-21
目録巻数 10
地域 安筑
古文書  本目録に収録した筑摩郡会田宿問屋横内家文書は、長野県立歴史館が平成17年(2005)に寄贈を受けた史料である。
 点数は1,809点で、このうち年代がわかるものは万治3年(1660)から昭和21年(1946)までの文書898点、年代が不明の文書は911点ある。近世及び近現代の文書である。
 本史料は横内家に伝来してきた文書である。横内家は会田宿で問屋を務めた家で、会田町村の名主役を務めたこともある。なお、会田宿で本陣を務めた横内家とは別の家である。こちらの文書群は、家別番号5-17「筑摩郡会田宿本陣横内家文書」として当館に所蔵し既に公開しているので、会田宿の概略等と合わせて参照されたい。
 横内家は大河内家とも名乗り、系図などにも大河内の名前が記されている。幕末から明治期にかけて、会田町村の名主役および副戸長を務めたことのある横内善左衛門は、大河内織衛(江)と改名していた時期もある。横内家の家文書としては、系図の他、書簡や領収証の類が多い。また、近世中期頃に作成された横内佐次兵衛宛の借用証文の数が突出して多い。佐次兵衛は酒造株の持ち主であり、酒造業に関わっていたと思われる。明治以降の東筑摩郡蚕糸業組合に関わる史料も残る。
 会田宿は善光寺道(北国西街道)沿いの宿場である。問屋経営の史料としては、人馬継ぎ立てに関する文書類があり、文久元年11月に加賀藩士が宿泊した記録等も見られる。天保期から幕末にかけて、犀川通船の差し止めに関わる嘆願書および規定書等の史料がまとまって存在する。横内家の人物がこの一件に関わる街道筋の宿場の総代役として関わっていたことも史料からうかがえる。犀川通船に対する宿場側の見解がわかる史料である。また、浅間温泉の営業に対しても、営業制限を設けるよう近隣の宿場と連名で作成した嘆願書が残る。
 その他、幕末期に刈谷原宿と保福寺宿と共に掛け合いに及んだ助郷免除に関わる嘆願書がまとまって残る。
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