水内郡梅木村松田家文書

詳細情報
資料No 水内〔9〕/9-20
目録巻数 9
地域 水内
古文書 梅木村は、丸栗尾村ともいわれ、虫倉山の南斜面の梅木沢と大久保沢にはさまれた台地上に展開する村である。天保郷帳による村高は、493石である。弘化4年(1847)3月24日におこった善光寺地震では、震源地に近かったため死者行方不明者が70人、家数の半数が半壊以上の被害となった(むしくら日記)。梅木村は、近世を通じて松代藩領であった。明治維新後は、松代県をへて長野県に属した。明治9年(1876)日下野村の一部となり、昭和30年(1955)栄村と合併して中条村となる。
本文書は梅木村の上組の名主をつとめた松田家に伝来してきた文書であると考えられる。文書の点数は、147点であり、年代は寛文6年(1666)から明治32年(1899)におよぶ。7対3で近世分が多い。近世文書は、年貢、諸役など名主文書が大半をしめている。また干ばつによる困窮を訴える文書もみられ、用水の確保に苦労する村の様子を知ることができる。明治以後は、明治5〜7年の租税関係の文書が多くしめている。
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