高井郡牛島村義家家文書

詳細情報
資料No 高井〔8〕/8-21
地域 高井
古文書

 本目録は、2020(令和2)年に県外流出文書として古書店より購入した標記文書群25点を目録化したものである。
 牛島村は千曲川・犀川合流地点の千曲川右岸地域に当たる。大笹街道と大豆島村へ渡河する大豆島舟渡との交差する要衝地である。近世を通じて松代藩領で、1602(慶長7)年検地帳では牛島村は603石あまりであった。しかし河川の落ち合う地域であることから、度々の洪水で多くの被害を出している。とくに戌の満水(1742年)では潰屋50軒、流屋22軒、流没人26名の被害を出している。1879(明治12)年に上高井郡に編入され、明治22年川田村に合併した。1953(昭和28)年には周辺3か村が合併し若穂町となり、昭和41年に長野市へ合併した。
 本文書は牛島村松代藩士義家氏に伝わった文書であるが、松代城下に居住しない在村の郷士文書である。当初は正式な侍身分でなかったことは、功により初めて名字を免許されたことからいえる(8-21-2)。郷士身分であったことは、すべての文書が奥に宛人がなく、袖に義家栄作または桂作の名を記したもの、発給者の名前がなく、いずれも書止文言は「被下之」で終えるなど、栄作宛の文書が極めて薄礼の書札礼であることからもうかがえる。なお、義家姓の名乗りは、嘉永元年には名乗っている事からそれ以前である事は間違いない。また義家氏は、鉄砲砲術の技術に長じており、春の砲術見聞では皆中させるなどして煙硝や鉛、銭など褒美を度々下付されている。また名字免許のほか裃着用も許されている。
 このように在村する郷士身分級宛の藩発給文書で、まとまって残存するものは必ずしも多くはない。今後の研究においてその存在形態が明らかになることが期待される。

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